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銭札「高岡 鍋屋仁右衛門 三百文」

ぜにさつ「たかおか なべやにえもん さんびゃくもん」

概要

銭札「高岡 鍋屋仁右衛門 三百文」

ぜにさつ「たかおか なべやにえもん さんびゃくもん」

その他 / 江戸 / 富山県

高岡坂下町・鍋屋仁右衛門

たかおかさかしたまち・なべやにえもん

富山県高岡市

江戸後期

切紙・墨書,木版,押印

縦18.6cm×横4.8cm

1枚

富山県高岡市古城1-5

資料番号 1-06-3

高岡市蔵(高岡市立博物館保管)

高岡坂下町の鍋屋(※1)仁右衛門が発行した「銭札」(※2)である。
本資料の表の墨書は、中央に「銭三百文預」とあり、左に「寅年 鍋屋仁右衛門」、右に「梅 百七十弐」とある。
本資料は汚れや擦れ、折れやシワ、剥がれなどがあり、状態は悪く、6点ある印の判読は困難だが、上部中央の円印の絵柄は後述の「象印」ではない。下から2つ目の分銅型の朱印は「両替」とある。
裏は更に状態が悪い。上部左側には墨書「キ(又は「本/氏」?)」、右側には黒文長方形印「以正札引替」、下半分には大きな枠が刷られ、上部(横書き)は「越高岡坂下町」、中央は縦書き枠が2つあり、左側は「[ ]両替店」、右側は墨書で「中ノわたや」、下(横書き)は「紛失[ ]」と刷られている。

銭札の種類は多く、本資料は下記「※2」の⑤町人発行の預手形(象印手形)か、⑥私造銭札かは断じ難い(『高岡市史』や『たかおか 歴史との出会い』掲載の図版のものとは異なる様式)。⑤には全て象印が捺されるとするならば、本資料には無いので、⑥とも考えられるが、今後の調査が必要である。
 

※1【鍋屋】なべや
坂下町の鍋屋といえば、高岡の時鐘を再鋳に尽力した仁左衛門(綿商。金屋町出身)が著名である。高岡町奉行・寺島五郎兵衛が天明2年(1782)に認可を得ていたが果たせずにいた時鐘鋳造の念願を、孫で同じく町奉行の蔵人が先任の荒木五左衛門や金屋町鋳物師らと協力し、文化元年(1804)に果たした(鐘楼は木町の建設)。しかし、鐘に割れ目が生じてしまったので、坂下町の鍋屋仁左衛門が奔走・尽力して、文化3年(1806)に見事な大鐘を完成させた(現高岡市指定文化財。大仏寺蔵)。仁左衛門はこの他にも藩に多額の調達銀を上納したり、川原町火災に米銭を寄付したりするなどの善行があり、藩に表彰され、高岡の善行者記録集『高岡湯話』(富田徳風著、1807年)にも掲載されている(『高岡市史』中巻、pp.776-777)。
しかし、仁左衛門と本資料の仁右衛門や『高岡史料』・『高岡市史』に図版掲載の銭札にある「鍋屋仁一郎」との関連は不明である。

※2【銭札】ぜにさつ
『たかおか -歴史との出会い-』(高岡市、平成3年、p143)によると、「藩政時代の後期になると藩は財政の窮乏を救うため、富裕な町人に調達銀の上納を命じ、そのかわりに同額の預り手形(銭札)発行を許した。銭札には発行者の記名調印があり、発行者当人の信用範囲内でのみ通用した」とある。
また、銭札は種類が多く、『加能郷土辞彙』(日置謙、昭和17年、p465)によると、①町会所発行の預銭手形(金沢か)、②両替所発行の預銭手形(金沢か)、③藩発行の銭札があるが、『高岡史料』(高岡市、明治42年)、『高岡市史』中巻(高岡市、昭和38年)によると、④高岡町会所発行の銭札は文政4年(1821)6月に発生した大火の応急対策として、翌5年(1822)に発行したものであり、また⑤町人発行の預手形〔延宝5年(1677)開始〕は「文政二年(一八一九)六月、調達銀を上納した者に対し、その額に相当する「預り手形」を発行することを許した」(『高岡市史』中巻、p703)もの(「象印手形」)であり、更に⑥私造銭札(藩の保証は無いが、商人相互の信用だけで、実際の取引に使用された預り手形)というものもあった。

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