木の間から見下した町
このまからみおろしたまち
概要
郷里土沢で制作に没頭する日々を過ごし大正5年1月に再上京した萬が、大正8年3月に神奈川県茅ケ崎に転居するまでの間に東京で描いた風景画の多くは、郷里の風景をモチーフとするものであった。彼は土沢でのスケッチをもとにこれらの風景画を制作したが、現在彼の記念碑や記念美術館がある町の北側の山の中腹から街並みを見下ろして描いたこの絵は代表的な作例であり、土沢滞在中に使用したスケッチブックの中に、制作の参考にしたと考えられる同じ構図の素描が残っている。灰褐色の深みのある色調で統一された画面では、両側から覆い被さる樹木の幹や枝葉が中央の風景を枠取り、俯瞰された家々から屋根の稜線だけが幻想的に浮かび上がる。作者の郷里への思いが凝縮された凄絶な心象風景であり、没後の遺作展観の際、親友の画家小林徳三郎は「描いてあるものも木なら木、家なら家の精霊のように見えるものだ。然し斯うなっては萬君も苦しい事であったろう」と評している。