日本服を着たる白耳義の少女
概要
金髪の少女が和服姿でこちらをじっと見つめている。かしこまったポーズ、少し緊張した面持ち、カーテン地で覆われたソファー。あたかも静物画の題材のように、すべてが作為的に設置された、ぎこちなく感じる空間。
しかし、こうした違和感は、この作品を図版などで観察したときだけに感じることであって、本物を前にすると、鮮やかな色彩の響きにただただ酔いしれてしまう。
この作品が描かれた年、児島が滞在していたベルギーでは、多くの画家が隣国フランスで生まれた印象派の流れを受け継ぎ、独自に発展させていた。児島は、関西財界の重鎮、大原孫三郎の援助を受けヨーロッパに留学して3年目。ベルギーで、ようやく納得する師にたどりつき、光と材質感が見事にかみ合った、充実した制作活動が行えた。
児島は、東京美術学校(現在の東京藝術大学)を飛び級してわずか2年で卒業してしまったことにも驚かされるが、ベルギーのゲント美術アカデミーも、1912年に首席で卒業してしまった。その後も精力的な活動を続けたが、あわせて、日本に西洋名画を紹介するためヨーロッパ各地で作品を蒐集した。エル・グレコ《受胎告知》をはじめとするその超一級コレクションは、現在倉敷にある大原美術館の核となっている。(田中善明)