立ち上がる青年
たちあがるせいねん
概要
立ち上がる青年
たちあがるせいねん
ドイツ・ドゥイスブルク郊外のマイデリッヒに生れる。デュッセルドルフの美術工芸学校を経て、1901年から1907年まで同市のアカデミーで学んだ。初期はベルギーのムーニエの影響もあって労働者など社会的主題の作品を制作したが、1905年頃ロダンを知り、その表現を学びながら感傷的、内省的な趣を見せ始めた。1910年に移り住んだパリではマイヨールの影響も受けたが、モディリアーニ、アーチペンコ、ブランクーシといった作家たちと交流する中で、細長く引き伸ばした新しい人体造形に強い精神性を結びつけた独特の作風を確立、ドイツ表現主義を代表する彫刻家となった。1919年にプロイセン芸術アカデミー会員に推されたが自殺、戦争に対する苦悩と、造形と感情という芸術上の相克のためといわれる。 レームブルックの細長い人体はまず女性像に用いられ、メランコリックな表情や、傾けた首に始まるゆったりとした動勢に適していた。これに対して、この男性像では踏み出した左側と胸の前で組んだ腕が大きな空間をつくっている。この青年は作者の精神的自画像といえるが、長い肢体は個人を超越した存在を感じさせ、未来に新しい人類共同体を夢みたパリの芸術家の精神を象徴している。深刻な表情と指や間接などの生気が、世界を背負って高みに向かう者の犯し難い霊感を像にまとわせている。しかし第一次世界単線後この青年は、四つんばいで地に頭を垂れる《戦死者たち》(1915/16年)やうなだれる《坐る青年》(1916/17年)などのように、悲劇性を強めていくこととなった。(M.T.)