一乗寺三重塔
いちじょうじさんじゅうのとう
概要
一乗寺三重塔 一基
一乗寺法華山と号し、白雉元年(六五〇)、法道上人の開基と伝える天台宗寺院で、もと、寺地は北方約二・五キロメートルの笠松山南麓古法華にあったといわれる。現在の寺地は山の南斜面を段状に造成し、本堂、三重塔、護法堂、妙見堂、弁天堂、鐘楼などの建物が散在する。
三重塔は、相輪の伏鉢にある承安元年(一一七一)の銘によって建立年代が明らかである。初重柱間一辺一六尺(約四・八メートル)、二重一二・三尺(約三・七メートル)、三重九・三尺(約二・八メートル)で、各重の逓減が大きく、相輪は塔身に比して大柄である。各部材の寸法も太く、重厚な意匠をもつが、反りの強い尾垂木や飛檐垂木を用い、深い軒を出し、安定感のある外観をもつ。岩盤から削りだした亀腹の上に建ち、初重内部に床を張り、周囲に緑をめぐらし、心柱は二重目から立て、三重屋根にはわずかに照り起り(反転曲線)をつける。組物は各重とも三手先で、初重・二重の中備に二材をはぎ合わせた蟇股を用いるが、脚の中には飾りはない。技法的には各柱間の垂木割にやや差があるが、巻斗と垂木の配置関係はほぼ六枝掛となり、柱筋に三段の通肘木を重ね、隅の三手先目の肘木を長く作るなど、中世的な発展がみられる。しかし、斗の成が高く、軒の細部のおさまりもまだ不完全で、幣軸の形や稚児棟をもたない屋根などの古式も残して、古代から中世への過渡期における建築技術発展を知るうえで重要な遺構である。
【引用文献】
『国宝大辞典(五)建造物』(講談社 一九八五年)