加藤拓川書簡 加藤寿子宛
かとうたくせんしょかん かとうひさこあて
概要
加藤拓川は、正岡子規の祖父・大原観山の三男で、甥にあたる子規を生涯にわたり支援した。フランス留学を経て外務省に入り、外務大臣秘書官、ベルギー公使等を歴任後、衆議院議員、貴族院議員を務めた。また、大正11(1922)年、がんに冒された体ではあったが、要請されて第5代松山市長に就任した。
本資料は、海外出張中の加藤拓川が妻に宛てた書簡で大正2(1913)年6月7日消印。中国大連市の遼東ホテルから発簡されており、この後、ハルピンに向かうことなどが記されている。