秋山好古書幅「風林火山」
あきやまよしふるしょふく「ふうりんかざん」
概要
秋山好古は、「我が国騎兵の父」と称された旧日本陸軍の軍人で、日露戦争では、世界最強といわれたコサック騎兵を相手に奮戦し、奉天会戦などで勝利に導いた。
好古は、陸軍を退役後に請われて北予中学校(現、愛媛県立松山北高等学校)の校長に就任したが、校長を務めていた大正14(1925)年、清浦奎吾元首相が松山を来訪した。視察や歓迎で忙しく、ほとんど筆をとる時間がなかった中で清浦元首相は、朝4時に起床して出発時刻までに60余枚の揮毫を書き上げた。これを見て、筆不精であった好古は、一念発起し、数多く揮毫するようになったといわれている。
本資料は、秋山好古の書幅の一つで、武田信玄の軍旗に書かれた『孫子』の句「其疾如風 其徐如林 侵掠如火 不動如山」と認められている。