寒川陽光(鼠骨)葉書 柳原正之(極堂)宛
さむかわあきみつ(そこつ)はがき やなぎはらまさゆき(きょくどう)あて
概要
柳原極堂は、旧制松山中学校時代に正岡子規と交流を結び、以降「文友」として交際した俳人、新聞記者である。「松山子規会」を結成し、『友人子規』などを著すなど子規の研究・顕彰に半生を捧げた。
また、寒川鼠骨は、第三高等学校(現、京都大学)在学中に、河東碧梧桐の紹介で正岡子規と交流を持った俳人である。子規没後は根岸の子規庵保存に生涯を捧げるとともに、子規遺墨集や分類俳句全集などの出版に努め、子規顕彰に力を尽くした。
本資料は、寒川鼠骨が柳原極堂に宛てた葉書。昭和25(1950)年11月8日消印。現在、松山市立子規記念博物館前に正岡子規の歌碑が建っており、昭和26年の子規50回忌のときに建立された。この葉書は、歌碑建立の際、どの歌を碑に刻むか極堂が寒川鼠骨に相談した際のものと考えられる。