壱岐神楽
いきかぐら
概要
壱岐神楽は、壱岐島の各神社の祭礼の際に舞われる採物【とりもの】神楽の一種であり、神社の拝殿あるいは神前の斎場に神楽座を特設して舞われる。
吉野家文書によれば、永享七年(一四三五)十一月に「神楽舞人数の事」と題して二五人の神楽人の名前が記録されており、壱岐島では、古くから神楽が舞われていたことが知られる。その後、文明四年(一四七二)には、肥前岸岳城主波多泰【はたしん】が壱岐を領有し、この全島の社家【しやけ】は十一月に領主の館において御竈祭【かまどまつり】の大神楽を奉仕するのを例とした。さらに元亀年間(一五七〇~一五七三)、壱岐が平戸の松浦氏の領地となったので、壱岐の惣神主【そうかんぬし】吉野甚五左衛門末秋【すえたけ】が壱岐の社家二十余名を率いて平戸の松浦氏の居城に赴き、御竈祭を奉仕して、神楽を舞ったといわれ、その後は、平戸地方の社家と共同してこの祭りで神楽を演じ、互いにその技を伝えあったとされている。また、壱岐の社家の人々は代々神楽歌の改訂などに取り組み、この地方独特の神楽を作りあげた。
この神楽の演目は、一般に三十三番といわれているが、今日、伝承されているものは、神遊【かみあそ】び、四本幣【しほんべい】、二本幣【におんべい】、注連舞【しめまい】、眞榊【まさかき】、野槌【のづち】、鉾【ほこ】、八咫烏【やたがらす】、橘【たちばな】、殿保賀比【とのほがい】、神酒保賀比【みきほがい】、四剣【しけん】、二剣【にけん】、四弓【しきゆう】、二弓【にきゆう】、五方【ごほう】、神代語【かみよがたり】、大諄辞【ふとのりと】、猿田彦【さるたひこ】、鈿女【うずめ】、弥散供米【やちくま】、折敷【おしき】、神相撲【かみすもう】、漁舞【すなどりまい】、荒塩舞【あらしおまい】、神楽始【かぐらはじめ】、湯立【ゆたち】、御湯舞【みゆまい】、御湯泰奠【おゆほうてん】、篠湯【ささゆ】、思兼【おもいかね】、太多目【ふとだめ】、児屋根【こやね】、手力男【たじからお】、岩戸開【いわとびらき】、注連曳【しめびき】、豊年舞【ほうねんまい】の三十七番がある。
壱岐神楽は、平戸神楽と互いに影響しあいながら展開してきているが、その演目や舞い方にはそれぞれ独自のものがあり、長崎県内の神楽の一典型を示すものとして地域的特色が極めて顕著であり重要である。
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国指定文化財等データベース(文化庁)