平戸神楽
ひらどかぐら
概要
平戸神楽は、平戸地方の各神社の祭礼の際に舞われる採物【とりもの】神楽の一種であり、神社の拝殿あるいは幣殿で舞われるが場合によっては仮設舞台を設けて舞われることもある。
この神楽の由来は、元亀年間(一五七〇~一五七三)、壱岐国が平戸の松浦氏の領有に帰した十一月、壱岐の惣神主【そうかんぬし】吉野甚五左衛門末秋【すえたけ】が壱岐の社家【しやけ】二十余名を率いて平戸の松浦市の居城に赴き、御竈祭り【かまどまつり】を奉仕して神楽を舞ったといわれ、その後は、平戸地方の社家もこの祭りに参加して互いにその技を伝えあったとされている。
さらに、正保年間(一六四四~一六四八)、平戸城主二十九代鎮信【しずのぶ】の家臣橘三喜【みつよし】平戸七郎宮の祠官【しかん】大鳥居刑部の子であって、神道の弘布唱導に努め、全国一宮の巡拝を志し、その巡行の途次、それぞれの地方の神楽を見聞して、平戸の神楽を改訂増補し、今日の平戸神楽の基礎を固めたとも伝えられている。
この神楽には、太鼓始【たいこはじめ】、荒塩【あらじお】、四本幣【しほんべい】、二本幣【におんべい】、所堅【ところがため】、二弓【にきゆう】、山之神【やまのかみ】、折敷【おしき】、懸【かか】り幣【べ】い、神相撲【かみすもう】、五方開【ごほうびらき】、注連舞【しめまい】、二剣【にけん】、幣納【へいおさめ】、四剣【しけん】、神代開【じんだいびらき】、猿田彦【さるたひこ】、四弓【しきゆう】、鉾舞【ほこまい】、供米舞【くままい】、鈿女舞【うずめまい】、手力雄命【たじからおのみこと】、岩戸歌【いわとうた】、八散供米【やちくま】の二十四番があり、それぞれの祭式にあわせて大大神楽【だいだいかぐら】、大神楽、中神楽、小神楽の別に応じて番数を違えて神楽を演じるもので、長崎県の平戸地方に伝承される神楽として地域的特色が極めて顕著であり重要である。
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国指定文化財等データベース(文化庁)