槻の屋神楽
つきのやかぐら
概要
これは出雲流神楽のうち佐陀神能形式のものを伝えている。
槻の城は、素盞鳴尊の八岐の大蛇退治で有名な簸の川(斐伊川)の上流に位置している。出雲流神楽の源とされている佐陀神能の影響下にあった旧出雲郡(現簸川郡東部)の神職神楽が、一八〇一年ごろ当地方に伝承されたものと伝えられる。
現在この神楽は、氏神加茂神社の例祭日に神社拝殿にて奉納されるのをはじめ、近郷諸社の祭礼に奉仕されている。演目次第は、直面・採り物舞の七座の神事(「清目」「勧請」「手草の臣」「連手草」「御(茣)座」「四方剣」「芝叟」)及び式三番(千才、翁、三番叟)と、仮面をつけての劇的舞の神能【じんのう】(「天神道行」「鞨鼓切目【きりめ】」「須佐遷宮」「日御碕【ひのみさき】」その他)からなり、佐陀神能形式をよく伝えている。(佐陀神能は神座を新しく取り替える御座替え祭りの神楽で、茣座をとっての舞を中心とした七座の神事と十六、七世紀ごろに京都から影響を受けたという式三番、能楽風の構成・所作の神能とからなっている。これは中国地方の神楽をはじめ、全国各地のものに影響を与えた。)しかしながら、天蓋を吊るしてそれを上下させる「勧請」のくだりは、佐陀神能にはみられず、石見の大元神楽などでもっとも盛んに行なわれているものであり、出雲の山間部の神楽にもその流れがみられる。
当神楽は、佐陀神能形式の出雲流神楽を伝えるものの中でも伝承の確かな代表的なものの一つであり、同形式にはない天蓋引きなどの要素を伝えている点に島根県地方の神楽の変遷を知る上に貴重なものである。
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