名越切通
なごえきりどおし
概要
名越切通は、鎌倉と逗子市小坪(三浦方面)とを結ぶ峠道で、鎌倉七口の一つに数えられている。明確な開削時期は不明であるが、『吾妻鏡』天福元年(一二三三)八月十八日条に「名越坂」とあり、このころにはすでに整備されていたと考えられ、鎌倉の切通の中でも比較的早い段階で整備されたとみられる。近世まで鎌倉の主要な交通路として機能した状況を表す重要な史跡として昭和四十一年に逗子市小坪に所在する切通道周辺とまんだら堂やぐら群を中心とする地域が指定された。その後、逗子市教育委員会による発掘調査の成果に基づいて切通道の北側部分(逗子市小坪)が昭和五十六年追加指定され、昭和五十八年には大切岸を中心とする範囲(逗子市小坪・久木)および鎌倉市域の石廟のある平場を中心とした範囲(鎌倉市大町)が追加指定された。
その後、平成十二年度に鎌倉市教育委員会が鎌倉を取り巻く山稜部の発掘調査を実施したところ、切通周辺の山稜部から中世に構築されたと考えられる平場、堀切、切岸等の遺構のほか、石切場等の生産活動を示す遺構、やぐら等の祭祀・葬送に関わる遺構が多数検出され、切通が都市鎌倉の境界領域として多様な性格を有していたことが明らかになったことから、平成二十年に切通周辺山稜部のうち、人為的地形が良好に遺存する地域を追加指定した。
今回追加指定を行うのは、先の追加指定具申以後に追加指定の条件が整った部分で、やぐら群前面の平場、既指定地の丘陵をつなぐ部分等、いずれも既指定地と連続する部分である。既指定地と一体的に保存し、保護の万全を期そうとするものである。