近江大津宮錦織遺跡 おうみおおつきゅうにしごりいせき

史跡 / 近畿 

滋賀県
大津市錦織一丁目・二丁目
指定年月日:19790702
管理団体名:
史跡名勝天然記念物

S54-6-040近江大津宮[[錦織]にしごり]遺跡.txt: 近江大津宮は、天智天皇の宮都であり、同天皇6年3月に遷都が実行された。天智天皇7年、中大江皇子は天智天皇としてこの近江大津宮で即位し、同年にはすでに内裏や濱臺が、8年には大蔵、9年には宮門、10年には新臺に漏尅、西小殿、内裏佛殿、内裏西殿、新宮、大炊省などの諸建物が記録に見え、宮都の整備の進展がたどれる。天智天皇10年12月、天皇の崩御があり、続いて起る壬申乱による大友皇子の自縊とともに廃都となる。したがって近江大津宮は6年間という短期間の宮城であり、宮城内の諸施設の建設は記録に見えるものの、その京域については濱臺の名が見えるに過ぎず、関連諸建物の建設や條坊の施行については全く記事を見ないだけに、実質的な整備はなお、十分ではなかったものと考えられている。
 この近江大津宮の所在地については、記録・伝承を欠くこともあって、今日、大津市錦織町に比定する説をはじめ南滋賀町、滋賀里町にあてる諸説があり、未だに帰結するところを見ない。
 昭和49年以来、滋賀県教育委員会が数次にわたって実施して来た大津市錦織2丁目周辺の発掘調査により、近江大津宮推定地の一つである錦織2丁目御所之内地域の一劃、滋賀宮址顕彰碑の建碑地を中心に天智天皇のころに属する遺物をはじめ、雄大な規模、斉整な配置をもつ諸遺構が発見された。建物は、東西4間以上、南北1間以上の門跡をはじめ、この門から東にのびる回廊を6間まで確認しさらに東に及ぶことが知られている。この回廊の5間目から直角に北へ9間以上のびる柵が連なり、門・回廊・柵で囲まれる範囲は広場…

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