神護寺如法執行問答
じんごじにょほうしぎょうもんどう
概要
性禅の問いに対して明恵(みょうえ)上人(高弁、1173~1232)が答えたもの。明恵52歳の自筆本である。巻首には「高山寺」と「十無盡院」の朱印が捺されている。
明恵は鎌倉時代前期の僧。釈尊を深く思慕し、仏教を本来の姿に戻そうと努めた高僧である。幼くして神護寺に入り、紀州で修行したのち、栂尾(とがのお)に高山寺を創建。戒律を厳格に守り、高潔な人柄で多くの人々に尊崇された。
この問答の内容は、神護寺の金堂の礼堂にあった畳を持仏堂に置くことの可否、両部曼荼羅の旧櫃を仏像を安置するための櫃に改作することの可否、平岡の堂跡およびその傍に田を作ることの可否など。明恵自身が送り仮名や返点を付け、深證房の仰せで貞応3年(1224)3月7日に執筆注進した旨を、最後に記している。
平岡の堂跡には、貞応2年(1223)に善妙寺が建てられているので、この問答はそれ以前のものと思われる。おそらくは貞応3年(1224)に至り、改めて清書して注進したものであろう。教学に関する著作とは違い、日常的な事柄についての明恵の考え方がよくわかる貴重な遺品である。
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.309, no.143.