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木造平子重経(沙弥西仁)坐像

概要

木造平子重経(沙弥西仁)坐像

彫刻 / 鎌倉 / 中国・四国

鎌倉

1躯

重文指定年月日:19920622
国宝指定年月日:
登録年月日:

源久寺

国宝・重要文化財(美術品)

 平子重経は周防国の在地領主で、建久八年(一一九七)仁保庄および恒富保の地頭に補せられ、のち出家して西仁と号し、貞応三年(一二二四)子息に地頭職を譲与したことが「平子氏本領相伝重書案」(『三浦家文書』所収)に引く当時の文書類等によりわかる人物である。相州三浦氏の支流に連なり、源頼朝の御家人として戦功あったために仁保など五箇地を賜って周防国に下向したと伝える。頼朝の死後、菩提を弔うために仁保庄に源久寺を建立したといい、本像はその開基像として伝えられた榧材の寄木造、彩色、玉眼嵌入の像である。
 現在、右前膊に補修、改変があり、当初は両手掌を内に向けて数珠を繰る姿であったと思われる。剃髪して西仁と号した晩年の姿を表したものであろう。
 口を一文字に引結び、頬骨の張った意志の強そうな面貌と背筋をのばして端坐する姿勢に力がこもる。胸から腹へと量を増す骨格たくましい体躯はいかにも激動期に生きた武人の姿をほうふつとさせ、また曲がった鼻梁や口許など像主の身体的特徴が生々しく表現されている。両腋や両臂外側など衣文の各所の深い彫り込みにより像に動感と立体感が与えられ、その処理に多少の破綻を示す反面、いまだ形式化に陥らぬ生き生きとした力強さも看取される。こうした点や頭体躯幹部を通して正中線で左右二材を矧ぎ寄せ、割首とする技法から見て、近世記録に貞応三年と伝える重経歿年からあまり時を隔てぬ時期に制作されたものと推定される。なお玉眼を前面より嵌入するのは類例を見ない技法である。荒々しく力強い作風を示す鎌倉時代肖像彫刻の異色作といえる。

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