水月観音像
すいげつかんのんぞう
概要
円相状の光背を負った水月観音像が、水中から立ち上がる奇岩上に坐し、その傍らに楊柳枝をさした水瓶を置き、左下方の水面に映る月影を静かに見つめる。背景上方の懸崖には一条の瀧が見える。白衣観音は胎蔵曼荼羅の蓮花部院中にも見られるが像容が異なる。本図のような姿の白衣観音は南宋禅林で発生したらしく、中国・宋元およびわが国鎌倉時代以降の作例が多い。
着賛をする天庵妙受(てんなんみょうじゅ)は、臨済宗仏光派の人で、無学祖元(むがくそげん)の高足、高峰顕日(こうぼうけんにち)の弟子である。鎌倉の浄智寺、万寿寺、京都の真如寺、南禅寺に住し、建武前後には丹波安国寺の開山にもなる。貞和元年(1345)に79歳で没した。「徳山」とは景徳山安国寺のこと。したがって本図は天庵が安国寺にかかわったころ、すなわち建武前後頃に制作されたと知られる。わが国初期水墨画の貴重な遺例である。当時は十一面観音や如意輪観音などの伝統的図像に水墨画技法を取り入れたものや、こうした白衣観音像のようにおそらく禅林で生まれ本来水墨画の画題として描かれたものが併存し、さらには画家によって絵としての完成度も様々である。本図の線描や水墨の表現には未だ仏画手法を脱しきらない変容期の特色がある。
奈良国立博物館の名宝─一世紀の軌跡. 奈良国立博物館, 1997, p.320, no.179.