文化遺産オンライン

銅造如来倚像(薬師堂安置)

概要

銅造如来倚像(薬師堂安置)

彫刻 / 奈良 / 東北

奈良

1躯

重文指定年月日:19870606
国宝指定年月日:
登録年月日:

山神社

国宝・重要文化財(美術品)

 近年見出された比較的大型の金銅仏で、このように両足を踏み下げて倚坐する如来の彫像遺品は、本像のほかに東京・深大寺の銅造釈迦如来像(重文)など金銅仏四例と奈良・法隆寺塑造塔本四面具(国宝)の弥勒仏像が知られるに過ぎず、白鳳・天平彫刻に限られている。
 胴部が長く両脚をゆったりと開いた姿態は深大寺像に似通い、右の肩から上膊、肘先を被う大衣の形式も共通しているが、深大寺像の軽快な曲線による整斉された衣文表現に対して、本像は、より自然な形の襞褶を深く刻んでいる。眉目を上方に寄せた、やや面長の顔立ちも、いわゆる白鳳の童顔とは異なり、和銅四年(七一一)造立の法隆寺塔本諸像以後に多く認められる。
 鋳造は蝋型により、その全容を一鋳として鍍金を施す。銅の厚味は頭部まで均一ながら、深大寺像など七世紀後半に溯る作例に比較すると幾分厚手になり、胸および背中、両脚部上面の各中央に型持を置くことは深大寺像と同様であるが、足先は内部中空の足首を裳裏に共吹きとし、また奈良・薬師寺金堂本尊(国宝)をはじめとする当代金銅仏の大作に用いられている銅釘付の銅型持が認められる。表現および技法の過渡的様相から製作は八世紀前半頃と考えられ、当代小金銅仏の優品として高く評価される。
 本像は永禄年間(一一五八-八〇)、真室川に居城を構えた鮭延貞綱によって近江より移された薬師如来像と伝えられ、山神社の本殿とされる薬師堂に祀られている。

関連作品

チェックした関連作品の検索