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絹本著色宇喜多能家像

けんぽんちゃくしょくうきたよしいえぞう

概要

絹本著色宇喜多能家像

けんぽんちゃくしょくうきたよしいえぞう

絵画 / 室町 / 中国・四国 / 岡山県

岡山県

室町/1524

1幅

岡山県岡山市北区後楽園1-5

重文指定年月日:19970630
国宝指定年月日:
登録年月日:

岡山県

国宝・重要文化財(美術品)

 宇喜多能家は備前国邑久【おく】郷を本拠とする室町時代の武将で、守護代の浦上宗助、村宗らに仕えた。宇喜多家は孫の宇喜多直家の代に浦上氏を滅ぼして備前を支配するに至る。豊臣政権の五大老の一人となった秀家は直家の子であり、能家の曾孫にあたる。
 本図は掛幅装。画絹は一幅一鋪。四周には補絹がつけ回されている。直家の像は、右手に金扇を握り、左手は握って膝の上に置き、向かって斜め右を向いて畳の上に安座する。肉身は墨で輪郭され、輪郭に沿って褐色の隈をとり、肌色を塗る。頭髪や眉、髭は墨線による丁寧な毛描きによって表される。腰には小刀を差し、柄の部分には黒色でかいらぎを表すように粒状に盛り上げている。目貫には三つの丸が並ぶが、紋は剥落のため不明である。頭に戴く烏帽子は輪郭を盛り上げ、大紋は黒地で堀塗りによって表す。胸、袖、腰、膝部の紋は二つの向かい鶴菱と一つの向かい亀菱からなる。紋の地色は薄青。鶴亀は白色で描かれている。胸元には薄青色の緒が結ばれている。
 画絹上部には墨線で罫線を画した中に、款記を含めて三二行にわたる長大な賛がある。款記は大永四年(一五二四)八月、九峯宗成によるものである。賛の款記の末には三つの印があるが、現在は判読できない。像主の宇喜多能家は、この款記の一〇年後の天文三年(一五三四)に島村豊後守に攻められ砥石城(邑久町)で自害しているので、本図は寿像ということになる。
 賛の内容は明応六年(一四九七)に伊福郷を攻めた浦上宗助が松田氏の兵に囲まれたとき、単身宗助の塁に入って敵を破ったことから、大永二年(一五二二)に浦上村宗方の重臣として村国と戦ってこれを破るまでの歴戦の記録がほとんどである。なお、本賛は『続群書類従』にも収められている。賛者の九峯相成は詳しい伝記はあまり明らかではない。足利義政の子、松王丸が出家したものかとされ、寛正四年(一四六三)に喝食として、相国寺に入っているが、延徳年間(一四八九-九一)以降の消息は不明とされる。その法脈は一山派に属し、雪村友梅-雲渓支山-啓宗承祖-九峯宗成と継承されている。雪村友梅と雲渓支山が播磨赤松氏の菩提寺である法雲寺、宝林寺の住職をつとめていることが、この像の賛者に選ばれたことと関係があるのかもしれない。
 本図は顔貌の描写に優れたもののある戦国時代の武将像として貴重な作品といえよう。なお、本図は宇喜多氏の菩提寺である紅岸寺(廃寺)に伝来したものである。

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