小治田安萬侶墓
おはりだのやすまろのはか
概要
S44-5-079[[小治田安萬侶]おはりだのやすまろ]墓.txt: 小治田安萬侶は、文武・元明・元正・聖武の4朝に仕えた人で、「続日本紀」によれば、慶雲4年(707)従五位下に叙せられ、養老3年(719)正五位上に進み、さらに出土の墓誌によると従四位下に達したことが知られる。
墓所は都祁盆地の西寄り、独立した丘陵の南斜面中腹に位置している。明治44年、開墾中に火葬骨を納めた木櫃と金銅の墓誌板、および小銅板2枚が発見され、昭和26年再調査が行なわれた。その結果玉石を敷いた墓壙に灰、木炭を埋めて粘土で覆い、その上部に墓誌や蔵骨器を安置したものであることが推定された。墓誌の内容は史の闕を補うものであり、墓制研究上貴重なものといえる。