善福寺本堂 附 絵図2枚(屋根棟折之図、建物之恰好細見図)
ぜんぷくじほんどう つけたり えずにまい(やねむねおりのず、たてもののかっこうさいけんず)
作品概要
寺蔵史料によると、宝暦の大火直後に再建の動きがみられ、寛政5年(1793)の先々住職三十三回忌法要の記録史料に内陣「九字之間」「十字之間」の名がみえ、現存本堂の特徴を備えた、天保3年(1832)の「建物之恰好細見図」にも同じ名称が見られる。また、明治13年(1880)の「大慈山系譜」によれば、第12世乗祐の代(天明6年(1786)~文化11年(1814))に本堂を焼失し、土蔵造に再建したとある。