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桜堂薬師本堂 附宮殿

さくらどうやくしほんどう つけたりくうでん

概要

桜堂薬師本堂 附宮殿

さくらどうやくしほんどう つけたりくうでん

建造物 / 江戸 / 中部 / 岐阜県

岐阜県

江戸前期/1667

本堂は南面、桁行5間、梁間5間、寄棟造、銅板葺き、前面中央に1間の向拝を付け、周囲に落縁を巡らせる。平面は、前2間通りを外陣とし、後方の中央間口3間、奥行2間を内陣として、その両側背面の3方を開放して広縁のように扱う。柱は、向拝は几帳面取角柱、その他は総丸柱を礎石上に建て、内陣後柱間は3間の通し仏壇を設け中央に宮殿を置き、本尊の薬師如来を安置する。古代から中世の仏堂に見られる通し仏壇形式が用いられる。外陣は梁間2間、古風な寄棟型の化粧屋根裏天井、大型仏堂の空間構成を生み出す双堂と呼ばれる建物の伝統を継承し、古い伝統を残す。内陣の宮殿は、間口1間、奥行1間、入母屋造、杮葺き、妻入である。

高さ12m、幅12.9m、奥行き12.2m

1棟

岐阜県瑞浪市土岐町5728番地

瑞浪市指定
指定年月日:20120703

有形文化財(建造物)

桜堂薬師本堂は、瑞浪市のほぼ中央に位置する土岐町桜堂地区に所在する。桜堂薬師は、弘仁3年(812)に瑞桜山法妙寺(法明寺)として創建されたとされる天台宗の寺院で、元亀2年(1571)に織田信長の命を受けた森長可によって焼き打ちに遭い、古記録や本堂、多くの坊院を失ったと伝えられる。
現在の本堂は、桜堂薬師を中興した実相院賢秀が、領主(岩村藩主)であった丹羽氏澄などから支援を得て、寛文7年(1667)に建立したことが棟札から知られる。建立当時の屋根は杮葺きであったこと、その後明治29年(1896)に瓦葺き、大正15年(1926)に銅板葺きとなり、現在の屋根は平成元年(1988)に葺かれたことが棟札等から知られる。外陣虹梁及び向拝の蟇股には彫刻がみられるが、意匠は全体的に極めて簡素である。内陣の宮殿は、木鼻・斗栱の絵様の様式から江戸時代初期の制作とみられ、本堂の建立と共に造立されたものと考えられる。

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