賢愚経 須達起精舎品 断簡 (大聖武)
けんぐきょう すだっきしょうじゃほん だんかん おおじょうむ
概要
「写経は通常一行十七字。本経は一行十二―三字の大字・重厚・独自の楷書でしたためられていて、聖武天皇の御筆とする伝承があり、通称「大聖武」と呼ばれる写経である。しかしながら聖武天皇の筆とするには難しく、写経生あるいは帰化人の手になるものと考えられている。
料紙は、国宝に指定されている他の大聖武と同様の香末を漉きこんで胡粉をひいた他に類のない荼毘紙という加工紙の特徴がある。
「実隆公記」永正六年(一五〇九)二月二六日の条に、僧英海が「聖武天皇宸翰三行(賢愚経云々)」を後柏原天皇に進献した事が見える。「賢愚経」の切断は既にこのころには始まっていたようである。手鑑を作る場合、冒頭に大聖武を添付することが大切なしきたりとなっていった。
経文中の須逹は佛法に帰依し施をした長者で、祇園精舎を釈迦に献じた。
王舎城はマガダ国(古代インド)最大の都。この地の霊鷲山麓で『法華経』が説かれ、釈迦滅後に仏典編集の大結集が行われた。」(名筆へのいざない―深遠なる書の世界―解説より)