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八坂神社の青面金剛像庚申塔

やさかじんじゃのしょうめんこんごうぞうこうしんとう

概要

八坂神社の青面金剛像庚申塔

やさかじんじゃのしょうめんこんごうぞうこうしんとう

その他 / 江戸 / 東北 / 岩手県

岩手県

江戸時代(寛政元己酉天八月六日)/1789

石碑

地上高149㎝、幅95㎝、厚さ72㎝
額面縦121㎝、横68㎝(像高57㎝、像幅36㎝)

1基

岩手県花巻市北湯口第12地割131番 八坂神社境内

花巻市指定
指定年月日:20150325

宗教法人 八坂神社 宮司 鎌田政典

有形文化財(美術工芸品)

八坂神社の青面金剛像庚申塔は、地上高約149センチ、幅約95センチの自然石の正面を平坦に仕上げ、縦121センチ、横68センチの額面を作って、その中に精緻な浮かし彫りで青面金剛像を彫りこんでいる。像は忿怒相で、頭上に髑髏を乗せ、六臂(腕六本)である。右手の第一手に剣、第二手に三叉矛、第三手に矢、左手の第一手にショケラ(合掌女人)、第二手に法輪、第三手に弓(一部欠損)を持つ典型的な六臂青面金剛像の像容をしている。また、頭上には火炎を伴う輪後光が彫られ、足下に二匹の邪鬼を踏みつけている。像の両脇には二童子を配し、右方童子は柄香炉を持ち、左方童子は拱手である。さらに、像の上部には瑞雲に日月をいただき、像下には三猿(見ざる、言わざる、聞かざる)と二鶏を浮かし彫りする形態となっている。三猿は「申」が「猿」に通じることから、三尸の虫になぞらえて耳・口・目をふさいで天帝に悪事を告げないようにしたものと考えられている。また、鶏は庚申行事が「申」から「酉」の日にかけて行われることや、鶏の夜明けを告げる声で終わりになることに由来するとも言われている。
石碑左側面には「寛政元巳酉天八月六日」の建立年号と、「奉盆供 北湯口大畑村信心連中 敬白」という建立者銘刻まれており、大畑地域の庚申講中が建立したことがわかる。
岩手県立博物館刊行の庚申塔集成資料『岩手の庚申塔』では、県内に約4500基の庚申塔が確認されており、うち青面金剛像庚申塔は46基。花巻市内には、嶋二郎氏の集計で、県立博物館の集計より100基多い896基の庚申塔が確認されていて県内では最も数が多いが、青面金剛像庚申塔は当碑と田力の石碑の2基のみである。当碑に刻まれた寛政元年(1789)は20番目の古さに位置する。また、当碑以前に建立された石碑には青面金剛像を取り巻く「日月」「二童子」「二邪鬼」「二鶏」「三猿」などの図柄を数多く取り入れている例が少なく、青面金剛像庚申塔研究上も価値が高く、花巻地方の庚申信仰を考える上で極めて貴重な史料である。

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