見川喜蔵墓及び見川家五輪塔
みかわきぞうはかおよびみかわけごりんとう
概要
見川喜蔵(1739~1805)は、代々粕壁宿の宿役人を勤めた見川家の当主である。幕府の編さん物『孝義録』によれば、喜蔵は、飢饉に際しては窮民に粥を施し、水難に際しては人夫を私費で雇い堤防を築いた、とされる。見川喜蔵は地域住民の要望に応えつつ、幕府の地域政策の担い手として、宿村助成金の運用、備荒貯穀、宿村・村々の間の調整役として活躍した。のちに、粕壁宿の住民は、喜蔵の事績を称え、喜蔵の指導のもと築造された堤防を「喜蔵堤」と呼んだ。また、宿場の人々が稲荷祠を見川氏の屋敷内に勧請したとの言い伝えがある。