富士山図額面
ふじさんずがくめん
概要
本資料は、米治一作の富士山で、レリーフと呼ばれる浮き彫りの技法を用いて制作された銅器パネルである。表面には銀・黒・橙の着色がなされており、見る側により迫力のある印象を与えている。左下隅には「米治一作」と彫られている。裏面には、厚さ0.3cmのベニヤ板が貼り付けられており、作品本体の裏面は分からない。
資料には目立った汚れも見られず、状態は良好である。
米治一(こめじいち)〔生没年:明治29年(1896)1月17日~昭和60年(1985)2月4日〕
高岡市横田町生まれの彫刻家・原型師。号は静雲。師は高村光雲〔嘉永5年(1852)~昭和9年(1934)。仏師・彫刻家〕富山県立工芸学校を経て、大正8年(1919)東京美術学校を卒業。同年研究科へ進学し同10年(1921)に卒業後、高岡に帰り昭和59年(1984)まで一貫して高岡銅器や銅像の製作に携わる。作品数は数千点に及び、約200基の銅像が全国各地に建てられているほか、昭和天皇や秩父宮(ちちぶのみや)の買い上げ作品や新宮殿屋上飾り「瑞鳥」など皇室関連の作品も残る。
一方陶芸・絵画にも秀で、陶芸では明治44年(1911)の第5回文展に入選、絵画を濱屋(はまや)白雨(はくう)に学び、画号を「静雲」と称して作品を残した。その後、富山技能開発センター(現・富山職業能力開発促進センター)の後継者育成研修講師として指導にあたり、昭和48年(1973)に北日本新聞文化賞を受賞した。享年89。
<参考文献>『富山大百科事典』(北日本新聞社、1994年)