真宗大谷派十四世法主・琢如消息(写) しんしゅうおおたにはじゅうよんせいほっす・たくにょしょうそく

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文書・書籍 / 江戸 / 日本 

〔原本〕琢如/〔書写者〕不明
〔げんぽん〕たくにょ/〔しょしゃしゃ〕ふめい
江戸後期
紙・墨書
〔本紙〕縦18.0cm×横205.0cm
〔軸長〕19.6cm
〔全体〕縦18.0cm×横220.2(見返し14.0cm)
1
富山県高岡市古城1-5

本資料は、真宗大谷派(東本願寺)十四世法主琢如(※1)が越中国の院家(※2)中、一家(※3)中、惣坊主中、惣門徒中に宛てた消息の写しである。
表紙は虫損が甚だしく、押さえ竹は露出している。紺地に金泥で草花文様が描かれており、題箋は欠損している。見返し部分は銀の切箔ちらしがあるが沈んだ灰色に変色して将来的に修復の必要がある。
本紙は雲母引き白地の鳥の子紙で見返しに比べると虫損も少なく、前半の地(下地)部分に少し欠損はあるものの本文にまでは達していない。33行目の「何之所~」から継紙がしてあり前半部分は金泥で松、後半部分は緑がかった金泥で竹や草花が描かれている。
一行に10~12字程度の文字が流暢な筆使いで書かれ、墨の濃淡の動きもあり書に長けている人の手と考えられる。良質な料紙といい当時は観賞にも充分耐えうる巻子であったと考えられる。
内容は南無阿弥陀仏と唱えれば男子、女子、十悪の輩までも煩悩業衆がはれて往生を遂げること(弥陀四十八誓願の中の十八誓願)(※4)、他力信心をわきまえ他力往生の信心を得たといって他宗、他門を誹謗してはならないことを述べている。十八誓願は浄土教にとって重要視され『歎異抄』では第1章に弥陀の本願として述べられている。
王法として「世間通途の義に順じて内心には安心のかたをふかく治定すへし、是則当流の掟をまもる念仏の行者申すべきものなり」と『御文三帖十二』(※5)を末文にしており御文の重要性を宛所に対して説いたと言える。
「初夏廿八日 琢如」とあるが琢如の筆でないことは明らかで写しであると考えられる。奥書(異筆)に「是ハ阿弥陀堂御建立之時御覧」とあるが、東本願寺の江戸時代の阿弥陀堂建立(再建)は4度(※6)あることから本資料はそのいずれかのものと推察される。
真宗大谷派の寺院は、院家は城端別院善徳寺(南砺市)、一家衆は梅原坊(南砺市福光)、常願寺(同市福野)がある。また瑞泉寺は院家との記載はないが、「東本願寺は瑞泉寺と城端善徳寺を越中東方寺院の触頭(ふれがしら)に命じ,隔月ごとに任に当たらせた。1713年(正徳3)には経済的特権をも伴う〈御坊〉に昇格している。」(『富山大百科事典』「瑞泉寺」項)とあることから瑞泉寺も善徳寺の院家と同等の扱いであったと推察される。また瑞泉寺の第11代浪化は琢如の遺児であることから瑞泉寺と琢如の深い関係性を伺うことができる。(『井波別院瑞泉寺誌』)
ちなみに、当館には啄如の資料はない。見返しに虫損があるが大きなシミや焼けは無く文字は良好に判読できる。

※1【琢如】(たくにょ)
江戸前期の真宗大谷派の僧、東本願寺14世。寛永2(1625)7.2~寛文11(1671)4.14。1638年得度、53年東本願寺を継職する。同年将軍徳川家綱より東山大谷に土地1万坪を寄進され、本廟造営に着手し教如が築造した東本願寺内の祖廟も同地に移した。61年親鸞400回忌を勤修、64年に渉成園に退隠、翌年同園内に学寮(高倉学寮)を創設し教学の振興を図った。
<参考>『真宗人名事典』
※2【院家】(いんげ)
真宗寺院の寺格の名称。宇多法皇に仕えたものが院家と称したことに始まるといわれる。真宗では,11代顕如(けんにょ)が1559年(永禄2)に門跡(もんぜき)に列せられた翌年に土呂本宗寺以下8カ寺が公許されたのが最初。県内では,射水郡古国府(現高岡市)の勝興寺がその折に許された。院家寺院は近世初期には数カ寺にすぎなかったが,寺院間の競争もあって次第に増え,元禄~享保期(1688~1736)には東・西合わせて12カ寺,宝暦~明和期(1751~1772)には21カ寺ほどになった。真宗大谷派寺院の院家が圧倒的に多い。〈土井了宗〉
<参考>電子版 富山大百科事典(平成29年8月24日アクセス)
※3【一家衆】( いっけしゅう)
 本願寺宗主の一族。本願寺8代蓮如は子女を門末統制のために地方寺院に配したが,1519年(永正16)に9代実如は本願寺一族の嫡男(ちゃくなん)を〈一門衆〉,2男以下を〈一家衆〉と定めた。勝興寺実玄は蓮如4男蓮誓の2男であり,一家衆身分となる。だが実玄は一代限り一門身分で,あとは一家衆と定められた(『反故裏書(ほごうらがき)』)。のちには広義の意味となり,5代綽如(しゃくにょ)以後の全庶子の総称といわれる。〈金龍教英〉
<参考>同上
          ※4【第十八願】( だいじゅうはちがん)
浄土三部経の一つ『大無量寿経』のうちに説かれる阿弥陀如来の 48の誓願の第 18番目の願。その内容は「たとい我,仏を得んに,十方の衆生,至心に信楽 (しんぎょう) して我が国に生れんと欲し,乃至十念せん,若し生れずば正覚を取らじ」というもので,至心,信楽,欲生我国の三心をもって念仏すれば必ず往生するようにさせるという誓願で,日本の浄土教では特に重要視され,48願中の王本願と呼ばれている。
<参考>ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典(平成29年8月24日アクセス) 
※5【御文】(おふみ)
本願寺派にては御文章、または観章ともいい蓮如が宗徒へ授与された消息をいう。御文の稱は上人自ら稱せられたものである。普通御文といえば大永元年上人の孫、圓如が諸国に散在していた二百数十通の御文中より八十通を選んで五帖に編輯されたものを指す。
<参考>『真宗辞典』                 
※6【東本願寺阿弥陀堂の再建】
東本願寺阿弥陀堂は東西分派のあった慶長7年(1602)の2年後に創建されて以降次の四度(明治期にもう一度)にわたり再建されている。明暦4年(1658)、寛政10年(1798)、天保6年(1835)、文久3年(1863)。ちなみに平成27年(2015)末に12年かけた修復が行われた。
<参考>真宗大谷派圓勝寺(京都市)HP(平成29年9月2日アクセス)
参考資料
『井波別院 瑞泉寺誌』 真宗大谷派井波別院瑞泉寺 2009.09.24
『井波瑞泉寺記』
『現代の聖典 蓮如五帖御文』平成5年5月30日発行 細川 行信著 法蔵館発行
『真宗辞典』2003.04.08 河野 法雲 雲山龍珠 法蔵館発行
『国史大辞典第四巻』昭和59年2月 吉川弘文館発行
『真宗人名事典』1999.07.30 柏原 祐泉他監修 法蔵館発行
『加越能 古書整理の手引き』 平成24年2月5日 森越 博著 氷見市資料整理室
『歎異抄』昭和33年4月26日改版 金子 大栄校訂 岩波書店発行
『日本の美術ことはじめ』 三井記念美術館 2008年3月発行
『わが家の仏教 浄土真宗』2004.06.05池田 勇諦他監修 四季社発行
東本願寺HP


【釈文】

夫阿(※1)弥陀仏のむかし法(※2)蔵        
比丘たりし時、諸仏にすく
れたる趣、世上の大願を発し
南無阿弥陀仏と云往生
の正業を決立志給へり、
此故に一切の経論等に
弥陀如来の功徳をつめ給ふ
事是おほしといへ共、殊更
浄土正依乃三経論にいたりて
は専ら他(※3)力本願之御法をと
き、ひとへに報(※4)土往生の肝要
をおしへましく召されは、
十(※5)方衆(※6)生の誓願深重成
か故に男子も女人も請法
闡(※7)提五(※8)逆十(※9)悪のやから迄も 
廻心懺悔して一心に阿弥陀仏
を頼奉れはやかて万善恒(※10)
沙の功徳をあたへたまひ、
摂取の心光ほからかにして
煩悩業(※11)障の闇、忽にはれ
すなはち往生を得て、し
かも不(※12)退転なといふいみし
き位にさためたまふなり、
これらの旨をよく〱
心得ての上には知(※13)恩報徳の
ために常に称(※14)名念仏
せしむへきものなり、就中
当流相伝の正義といふは
あなかちに諸の聖教を
よみ、物をしりたりといふ
とも今此他力伝心の趣を
わきまへさらんにをひては
何の所紛れもなき事にて候、
然るにちかころはかくのこと
きの輩、在々所々にこれ
あるやうに聞へ伝り、誠以
なけかしき事にて候、抑
源(※15)空聖人は疑はさる心に
なりおほせぬか上にはたゝ
とのふるより外には別の
子細なし、子細なき所に
子細をつくるとき往生
の道にはまかふなりといへり、
また我聖人はたゝ不思儀((議))
と伝しつるうへは、とかくの
御はからひ有ましく候
とのたまへり、さては末代
濁(※16)世の凡(※17)夫やすく報土
の往生をとくへき御法は
ひとへに仏の本願力なりと
思ふへし、されは他力
往生の伝心を得たりと
いひて他宗他門を誹謗
する事有るへからす、又諸神
諸仏菩薩をもゆめ〱
かろしむる事なかれ、いよ〱
王法を本とし、世間通(※18)途
の義に順して内心には
安心のかたをふかく治定
すへし、是則当流の掟を
まもる念仏の行者とは
申へきもの也、穴賢〱

初夏廿八日 琢如
 
   越中国
     院家中
     一家中
惣坊主中
惣門徒中

(奥書)
「是は阿弥陀堂御建立之時御覧」


<釈文参考語句>

※1【阿弥陀仏】(あみだぶつ)
阿弥陀如来ともいい、西方極楽浄土の救主で真宗・浄土宗などの本尊。はるか遠い過去に、世自在王仏のもとで、すべての人を救うという願いを起して出家した法蔵比丘が長い間熟慮して四十八の誓願を御越しその誓願をすべて実現して阿弥陀仏となり安楽世界(極楽浄土)を築いて現在もそこで説法をし、仏を信じるすべての者を浄土に迎え入れる慈悲を漏ってすべてに働きかけているとされます。そのため人々は本願を信じ、南無阿弥陀仏の名号を称えることによって浄土に生まれることができるといわれます。
<参考>『わが家の仏教 浄土真宗』
※2【法蔵比丘】(ほうぞうびく)
阿弥陀仏が員位の菩薩たりし時の名である。
<参考>『真宗辞典』
※3【他力本願】(たりきほんがん)
阿弥陀仏の本願。また衆生がそれに頼って成仏を願うこと。転じて、もっぱら他人の力をあてにすること。
<参考>『広辞苑』
※4【報土】(ほうど)
因位の願と、これに伴う実行に酬報して成就した国土のこと。故に報身たる阿弥陀仏の教授し給う浄土のことをいう。
<参考>『真宗事典』
※5【十方】(じっぽう)
四方(東、西、南、北)と四隅(北東、北南、南東、南西)と上下。すなわちあらゆる場所・方角。
<参考>『広辞苑』
※6【衆生】(しゅじょう)
いのちあるもの。生きとし生けるもの。一切の生物。一切の人類や動物。六道を輪延する存在。有情。
<参考>『広辞苑』
※7【闡提】(せんだい)
一闡提におなじ。
→一闡提
解脱の因を欠き、成仏することのできない者。闡提。断善根・信不具足と漢訳。中国や日本では一闡提でさえも最終的には成仏できるとする説が次第に強くなり、盛んに議論された。
<参考>『広辞苑』
※8【五逆】(ごぎゃく)
→五逆罪
略して五逆とも云ふ。恩に逆い、福徳に逆ふ五種の大罪悪を云ふ。この大罪悪は無間地獄に堕つべき因なる故また五無間業とも云ふ。五逆には小乗の五逆と大乗の五逆の別がある。(略)この五逆罪は謗法として正眞の佛教をそしるものと共に、本願より抑止せられるので、第十八願の因願及成就ともに唯除五逆誹謗正法と云はれる。
<参考>『真宗辞典』
※9【十悪】(じゅうあく)
十善に対す。殺生、偸盗(ぬすみ)、邪淫、妄語、綺語(へつらうこと)、悪口、両舌(にまいじた)、貪欲、瞋恚、愚痴の十種の悪行を云う。このうち初めの三は身の悪、中の四は口の悪、後の三は意の悪でこれを身三口四意三という。
<参考>『真宗辞典』
※10【恒沙】(ごうしゃ)
恒河沙の略。
→恒河沙 
無限の数量のたとえ。数の単位。
<参考>『広辞苑』
※11【業障】(ごうしょう)
三障または四障の一つ。悪業をつくって正道をじゃますること。悪業のさわり。
<参考>『広辞苑』
※12【不退転】(ふたいてん)
→不退に同じ。
不退
不退転ともいふ。一度得たる信仰、または地位を、退失、退歩せざること。
<参考>『真宗辞典』
※13【知恩報徳】(ちおんほうとく)
身に受けし恩徳の広大なることをしりてその報謝をなすこと。他力信仰にありては、我々が救済されることは全く仏力におるものとするが故に衆生のあらゆる行業はこの知恩報徳の心よりなすべきで信後の生活はすべて報恩の生活でなければならぬ。
<参考>『真宗辞典』
※14【称名】(しょうみょう)
仏、菩薩の名。特に阿弥陀仏の名号を称えること。「南無阿弥陀仏」と称えること。時には、諸仏が阿弥陀仏の名を称揚し讃歎することをさす。
<参考>『岩波仏教辞典』
※15【源空】(げんくう)
法然の諱。
<参考>『広辞苑』
※16【濁世】(じょくせ)
濁りけがれた世界。末世。
<参考>『広辞苑』
※17【凡夫】(ぼんぷ)
仏教の道理を理解していない者。俗人。凡愚、凡下も同じ意。
<参考>『岩波仏教辞典』
※18【通途】(つうず)
別途に対し、余地の諸法に共通した途、一般的なところの意。真宗別途不共の信心正因に対し通世間の法を御文三帖目第十二通に「世間通途の儀」等という。これ眞俗二諦によるものである。
<参考>『真宗辞典』

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