西国街道絵巻(京より明石迄道中絵巻)
さいごくかいどうえまき(きょうよりあかしまでどうちゅうえまき)
概要
京都山崎の離宮八幡から高槻、伊丹、西宮、兵庫、須磨を経て、播磨国明石まで、西国海道の東端を描く図巻。街道筋は破線で示され、街道を通行する人物も複数描かれている。また、街道筋に沿って展開する町場や社寺、近傍の村落、名所・旧跡、川・池などが色彩豊かに描かれ、それぞれの名称が金紙に記されている。なかでも作者が特に重視するポイントには解説も付されており、情報量は多い。
神戸から兵庫津の周辺をみてみると、「神戸里」(神戸村)から「二茶屋里」(二ッ茶屋村)、「花熊里」(花熊村)、「走水宮」(走水神社)に至る街道沿いの村々が瓦葺の町屋や白壁の蔵が建ち並ぶひとつの町場として描かれ、その東側には参道が海岸付近まで続く「生田大神宮」(生田神社)がみえる。当時、港町として栄え、西国街道の宿駅でもあった兵庫津はさらに大きな町場として描かれるほか、付近には「和田明神」(和田神社)や福厳寺、福海寺などの社寺や、「清盛石塔」(清盛塚)、和田の「笠松」、「琵琶塚」などの名所旧跡が配されている。また、兵庫津の解説として「築島寺清盛開基応保元年七月十三日明暦三年迄三百七拾二年ニ成ル兵庫ノ古城池田勝入取立之由」と記されていることから、作成年代も明暦3年(1657)頃が想定される。【近世の神戸】【古地図】