願成就寺銅造懸仏
がんじょうじゅじどうぞうかけぼとけ
概要
願成就寺銅造懸仏
がんじょうじゅじどうぞうかけぼとけ
大分県
鎌倉時代後期
銅、鋳造。尊像及び左右の華瓶は、鋳継ぎによる鏡板との一体鋳造。外郭の縁取りも覆輪とせず、鏡板との一鋳。壁面取付けのための鐶・鐶座はなく、外郭部両肩に吊り孔を穿つ。現状では鍍金の痕跡は認められない。
鏡板径 56.3㎝ 同外郭幅 3.3㎝ 像総高 30.0㎝ 像高 27.2㎝ 頂~顎 10.2㎝ 面長 4.5㎝ 面幅 4.7㎝ 耳張 5.3㎝ 肘張 12.5㎝ 胸厚 3.8㎝ 膝張 4.8㎝ 膝奥 10.5㎝ 請花幅 15.7㎝ 華瓶高 6.0㎝
一面
速見郡日出町大字藤原字下免6596番1
日出町指定
指定年月日:40380325
赤松山願成就寺
有形文化財(美術工芸品)
赤松山願成就寺は、養老年間(717~724)の仁聞菩薩開基、また、天徳4(960)年の空也上人開基とも伝えられる天台宗寺院で、『仁安三年六郷山二十八本寺目録』の「末山末寺」にその名がみえるなど、六郷山ゆかりの天台宗寺院として知られている。江戸期の一時期、真言宗に改宗されるも、弘化3(1846)年に天台宗に再度復し、新たに妙見菩薩像を本尊とするまでの間、仁聞作と伝わる木造薬師三尊像(大分県指定有形文化財)が本尊として祭られた。「願成就寺銅造懸仏」は、願成就寺の北西に隣接する同寺の鎮守社である牧峰神社(八所権現宮)の御神体(本地仏を表した御正体)として祭られていたもので、日出藩の地誌『図跡考』(寛政9年編纂)「北藤原村」「権現宮」にみえる「脇士 八社神鏡」に含まれるものであったと考えられている。『神社明細帳』「二四 大分県管下豊後国速見郡藤原村字赤松 村社 牧峯神社」によると、明治の神仏分離令の際、外に付属していた「神鏡八面」が願成就寺に移されたとある。『註訂増補北藤原図跡考』や『あかまつ』等の昭和期の諸文献には、「願成就寺銅造懸仏」は「大鏡十一面観音」として牧峰神社(八所権現宮)由緒として記されている。