願成就寺木造懸仏残欠
がんじょうじゅじもくぞうかけぼとけざんけつ
概要
願成就寺木造懸仏残欠
がんじょうじゅじもくぞうかけぼとけざんけつ
大分県
鎌倉時代後期~末期
[木造十一面観音菩薩像残欠]木造、一木造、鏡板欠失。頭頂から請花座まで両手先(左手先欠失)を含めてヒノキの一材から彫出する。請花座の背面を削平し、底面に固定のための枘穴を穿つなど、懸仏として造られた痕跡が明瞭である。髪に墨色、像背に錆漆の痕跡が残ることから、当初は彩色が施されていたとみられる。 [木造千手観音菩薩像残決]木造、一木造、鏡板欠失。頭頂から請花座まで脇手を含め、ヒノキとみられる針葉樹材を用いた一材からなる。両膝や請花、脇手など、奥行を抑えた扁平な像形から、これが木製の鏡板などに取り付けられた懸仏として造られたものと考えられる。髪や両肩の垂髪に墨色がみとめられる以外、彩色の痕跡はない。
[木造十一面観音菩薩像残欠]総高 14.5㎝ 像高 12.2㎝ 頂~顎 5.0㎝ 面長 2.5㎝面幅 2.1㎝ 面奥 2.6㎝ 肘張 6.3㎝ 膝張 8.8㎝ 胸奥 2.3㎝ 膝奥 4.0㎝ 請花幅 9.0㎝
[木造千手観音菩薩像残決]総高 15.2㎝ 像高 12.5㎝ 脇手開(最大幅)12.3㎝ 頂~顎 5.0㎝ 肘張 6.4㎝ 膝張 8.1㎝ 面奥 2.5㎝ 胸厚 3.0㎝ 膝奥 3.4㎝ 膝張 8.8㎝ 胸奥 2.3㎝ 膝奥 4.0㎝ 請花幅 9.0㎝
二面
速見郡日出町大字藤原字下免6596番1
日出町指定
指定年月日:40380325
赤松山願成就寺
有形文化財(美術工芸品)
赤松山願成就寺は、養老年間(717~724)の仁聞菩薩開基、また、天徳4(960)年の空也上人開基とも伝えられる天台宗寺院で、『仁安三年六郷山二十八本寺目録』の「末山末寺」にその名がみえるなど、六郷山ゆかりの天台宗寺院として知られている。江戸期の一時期、真言宗に改宗されるも、弘化3(1846)年に天台宗に再度復し、新たに妙見菩薩像を本尊とするまでの間、仁聞作と伝わる木造薬師三尊像(大分県指定有形文化財)が本尊として祭られた。
「願成就寺木造懸仏残欠」は、「願成就寺銅造懸仏」とともに願成就寺の北西に隣接する同寺の鎮守社である牧峰神社(八所権現宮)の御神体(本地仏を表した御正体)として祭られていたもので、日出藩の地誌『図跡考』(寛政9年編纂)「北藤原村」「権現宮」にみえる「脇士 八社神鏡」に含まれるものであったと考えられている。『神社明細帳』「二四 大分県管下豊後国速見郡藤原村字赤松 村社 牧峯神社」によると、明治の神仏分離令の際、外に付属していた「神鏡八面」が願成就寺に移されたとある。『註訂増補北藤原図跡考』や『あかまつ』等の昭和期の諸文献には、「願成就寺銅造懸仏」は「大鏡十一面観音」として牧峰神社(八所権現宮)由緒として記され、「願成就寺木造懸仏残欠」は不詳なるも、同社「小鏡六体」の一部として牧峰神社(八所権現宮)に付随・由緒するものと考えられる。