紅毛人風俗図
こうもうじんふうぞくず
概要
松尾秀山は、弘化年間(1844-48)以降、京都を中心に活躍していた円山四条派の画家ですが、詳しい伝記は不明です。今日でこそ、この画家の名はほとんど知られていませんが、京都画壇の近代化に貢献した久保田米僊の回想には、「江漢の風を日本風の画に合して作」った画家として名前が挙げられています。また、義太夫奏者の襲名披露の摺物にも彼の絵が使われることもあり、ある時期までは、一風変わった洋風画家としてそれなりの評判を得ていたのでしょう。
秀山の阿蘭陀風俗図は水墨を基調に描かれていますが、その作風は従来の四条派の穏やかさとは(と言うよりは、日本の水墨画の作品としても)異質な筆使いが目立ちます。やや渇筆ぎみにのたうちまわるようなその筆致には、西洋画へのコンプレックスはどこにも感じらません。近世日本の異国表現の終尾を飾る作品のひとつです。
【江戸の絵画】