開拓小笠原島之碑 かいたくおがさわらとうのひ

歴史資料 / 明治 

大久保利通撰・篆額、日下部鳴鶴筆、広群鶴刻
明治時代・19世紀、原本:明治10年(1877)
紙本墨拓
縦214.4 横89.6 ; 全体 縦214.4 横89.6
1鋪

日下部鳴鶴は彦根藩士で養父を桜田門外の変で失い、変転する政治情勢の中で国事に奔走した。維新後は新政府で大久保利通に仕えたがその暗殺後に辞官し、書の研究と教育に専念した。多くの門人を育て、中林梧竹・巌谷一六とともに明治の三筆と呼ばれる。

小笠原諸島は19世紀初めから欧米諸国の船が立ち寄り、定住する者もあった。明治維新後、新政府は列強と交渉してこれらの島を領有した。この碑は明治10年に島庁を新築した際、敷地内に建てられたもので碑文を内務卿大久保利通が作り、鳴鶴が文字を書いた。
(180710_h021/22明治150年)

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七言絶句
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大久保利通筆

日下部鳴鶴所用温恭堂製木管筆 銘 中鋒快剣
墨画  桐竹図
墨画  桐竹図

中林梧竹  讃 副島種臣

〔三条実美四字額〕(「山色栢懐」)
大久保利通関係資料
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