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魔障之図

ましょうのず

概要

魔障之図

ましょうのず

日本画 / 絵画 / 大正 / 日本

村上華岳  (1888-1939年)

むらかみかがく

1923年

紙本,墨画淡彩

85.9 x 42.7cm,182.0 x 59.0cm

  大阪市に生まれる。本名は武田震一。伯母の婚家の養子となり、村上姓となる。京都市立美術工芸学校、京都市立絵画専門学校に学び、1908年の第2回文展に《驢馬に夏草》を、1911年の第5回文展に《二月の頃》を出品し褒状を受けた。歌舞伎や文楽、浮世絵の研究を経て、仏教美術へ傾倒した。1916年の第10回文展では《阿弥陀》で特選となった。文展監査への不満から1918年には土田麦僊、小野竹喬らと国画創作協会を創立した。東西両洋の融合をめざし、同会に《日高河》《裸婦図》などの名作を発表した。1921年から喘息に悩み、1927年以降芦屋に隠棲した。画壇との接触も断ち没年まで孤独のうちに制作に努め、仏画や山水画などに神秘性をたたえた精神性の高い作品を遺した。

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キーワード

華岳 / 村上 / 文展 / 創作

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