散華 さんげ

絵画  日本画 / 昭和以降 / 日本 

村上華岳 (1888-1939年)
むらかみかがく
1939年
紙本,墨画淡彩
68.4 x 32.4cm

  大阪市に生まれる。本名は武田震一。伯母の婚家の養子となり、村上姓となる。京都市立美術工芸学校、京都市立絵画専門学校に学び、1908年の第2回文展に《驢馬に夏草》を、1911年の第5回文展に《二月の頃》を出品し褒状を受けた。歌舞伎や文楽、浮世絵の研究を経て、仏教美術へ傾倒した。1916年の第10回文展では《阿弥陀》で特選となった。文展監査への不満から1918年には土田麦僊、小野竹喬らと国画創作協会を創立した。東西両洋の融合をめざし、同会に《日高河》《裸婦図》などの名作を発表した。1921年から喘息に悩み、1927年以降芦屋に隠棲した。画壇との接触も断ち没年まで孤独のうちに制作に努め、仏画や山水画などに神秘性をたたえた精神性の高い作品を遺した。  この作品は1939年11月9日から12日まで日本橋高島屋で開かれた昭華会新作日本画展に出品されたものである。華岳はその会期中の11日に喘息発作のため亡くなった。喘息に悩まされつつも「製作は密室の祈り」を生き方の指針としていた華岳は、制作に対する集中力と、精神と画技の鍛練を怠ることなく密度の高い仕事を持続した。華岳は題材を山水、牡丹、椿、仏画などに限って対象と自分の内奥との交感を繰り返し、純化された心象世界を生み出している。亡くなる年になると華岳は体が弱まり、さすがに集中力をいささか欠くこともないわけではなかったが、この作品では、厳しくも柔軟性をたたえた描線と薄く加えられた彩色に高い精神的集中度をうかがうことができ、豊麗とも清浄ともいわれる明るく澄んだ華岳の内面世界が非常によく表れている。(Kr.H.)

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