白糸威二枚胴具足
しろいとおどしにまいどうぐそく
概要
この甲冑は、江戸幕府を開いた武将・徳川家康の九男で、尾張徳川家をおこした徳川義直が1614年から15年にかけて起こった戦い(大坂の陣)で用いたと伝えるものです。胴を守る細かい部分は銀色で、白い絹の組紐で綴り合わされ、出来たころは目にも鮮やかに輝いていたのでしょう。また、兜はむかしの中国の役人がかぶっていたような冠のかたちをしていてとても奇抜です。
戦争が相次いだ16世紀、日本の甲冑は大きな変化を迎え、胴体を守る「胴」、二の腕を守る「袖」、頭に被る「兜」に加え、腿(ひざ)や脛(すね)を覆う「佩楯(はいだて)」や「脛当(すねあて)」など、全身を守る各部分の防具も同じ色の組紐や装飾で作るようになりました。現在、こうした全身をコーディネートする甲冑のことを「当世具足(とうせいぐそく)」と呼び、その名は「今風の甲冑」を意味しますが、これは16世紀までにあった甲冑を「昔具足」と呼び区別するために生まれた名称です。当世具足は、江戸時代には一般的な甲冑のかたちとして普及しました。この具足は主要な部分が銀と白の配色で統一され、端正で洗練された印象を与えます。また、当世具足は、この具足のように兜のデザインに趣向を凝らしたものが多く、大きな見どころとなっています。