鍵屋茂兵衛教成像
かぎやもへえのりしげぞう
概要
珍しい玉章筆の油彩画。村井茂兵衛教成は盛岡の豪商鍵屋の当主であったが、明治初年の尾去沢鉱山をめぐる疑獄事件に巻き込まれ、不遇のうちに死去した。肖像画は家族が当時東京在住の玉章に依頼し、写真をもとに描かれたものと伝える。(180710_h021/22明治150年)
川端玉章は京都の生まれ。一時洋画を学んだが、後に円山派の伝統を継ぎ、明治の日本画壇を代表する画家となった。明治宮殿の障壁画を担当し帝室技芸員に任じられた他、東京美術学校創設時には教員となり後進の育成に力を尽くした。