文治論
ブンチロン
概要
黄道周(こうどうしゅう:1585~1646)は潭浦(福建省)の人。字は幼元、石斎と号した。天啓二年(1622)の進士。明末に清軍に捕えられて殺された。書はその剛直清廉の人柄のにじみ出た一種の風格をもつ。この文治論は、時あたかも李自成(りじせい)が北京を陥れた崇禎十七年(1644)に書かれたもので、その境遇とてらしあわせて考える時、きわめて高い史料的価値をもつ。
ブンチロン
黄道周(こうどうしゅう:1585~1646)は潭浦(福建省)の人。字は幼元、石斎と号した。天啓二年(1622)の進士。明末に清軍に捕えられて殺された。書はその剛直清廉の人柄のにじみ出た一種の風格をもつ。この文治論は、時あたかも李自成(りじせい)が北京を陥れた崇禎十七年(1644)に書かれたもので、その境遇とてらしあわせて考える時、きわめて高い史料的価値をもつ。
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