宴の準備

油彩画 

セザンヌ、ポール (1839-1906)
明治23年頃/c.1890
油彩、カンバス
45.0×53.0

ポール・セザンヌは、19世紀のみならず、その影響力から考えて20世紀最大の画家と断言できるかもしれない。もちろん、こうした断言に対して大いに不満をおぼえる人々もいるだろう。だが、それでもやはり、セザンヌの絵画(とりわけ、晩年のそれ)は、いまだに乗り越えられていない。人並の野心をもち、生きていればこれほどいやな人物はいないであろうと思われるほど偏屈で不器用な男が、近代絵画の頂点に君臨し、いまなおそれを拘束しつづけている革命的な絵画を制作したのだから、美術とは不可思議で皮肉なものである。
 セザンヌに関する論評や展覧会は実に多種多様であり、その数には限りがない。今年もパリ、ロンドン、フィラデルフィアを巡回する大展覧会が開催中であり、パリでは行列ができるほどと聞いている。具象とはいうものの理解しがたく、どちらかといえば、玄人受けのするセザンヌの絵画が一般の人気を博しているとは奇妙にも思えるが、それが研究者の興味を引きつづけている理由は想像できる。彼の絵画はどの時期においても謎に満ちており、尽きぬ謎こそ、研究者にとって最大の魅力となっているのである。
 思えば、謎は、絵画が偉大なものとなるためのひとつの要件といえないだろうか。偉大な絵画とは、容易に読み取れぬ絵画の謂であり、かつまた、破綻を常に抱え込んだ絵画なのである。破綻を抱え込んだ絵画というと、失敗作や未完成の作品を思い浮かべることが多いが、セザンヌやマチスをはじめとする巨匠の作品には、創造的であるがゆえの破綻がある。完成できないのではない。完成させることはたやすいが、あえて完成させないのである。
 こうして、全体を統合しようという強固な意思と、安易に統合することを拒む強固な意思が拮抗しているのが、セザンヌの絵画の真骨頂であり、その拮抗は、ときとともに熾烈になってゆく。円熟とともに衰弱するというおきまりの展開は、相当な力量の画家でも免れがたい運命であるが、セザンヌの場合、円熟とともに緊張は高まるばかりである。彼の絵画は、言葉の最も本来的な意味で、希有な例外といえるかもしれない。
 晩年にしては不可思議なモチーフをもっているために、『宴の準備』も、謎めいた絵画のひとつに数えられる。周知のとおり、酒宴や強姦といった情念的なモチーフは、1860年代から70年代にかけて多く見られるが、晩年の作品にはほとんど見い出せない。似た作品を強いて探せば、二点の『酒宴』(ヴェントゥーリ 92番 1817〜72年頃、リウォルド 23番 1867年頃)があり、そこには、この作品と同じようなブロンズの壷や、アンフォラ壷をかかえた人物がいる。
また、油彩画『静物』(ヴェントゥーリ200番 1888〜90年)、水彩画『ブロンズの花瓶とスープ入れ』(リウォルド294番 1888〜90年)の二点にも似たところがあるが、当然のことながら、『宴の準備』と初期作品のあいだには少なからぬ隔たりがある。たとえば、『宴の準備』に見られるピンク、赤、青などの甘美な色彩や、構築的筆致と呼ばれる独自のタッチは、初期作品には無縁のものであり、ピラミッド型のコンポジションや少なからぬ余白も しかりである。 1890年頃に、セザンヌは、なぜこのような情念的な作品に戻ろうとしたのだろうか。ひとつには、室内装飾(たとえば、食堂)のための第一案、または、居間の装飾案に用いるためのスケッチという説もあるが、その理由はいまなお不明であり、今後の研究が待たれるところである。
<国立国際美術館月報44号(1996年5月1日発行)より>

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