無量寺寛保津波の碑
むりょうじかんぽうつなみのひ
概要
・寛保元年(1741)7月19日未明、大島付近で発生した大津波は道南日本海沿岸から佐渡に至る各地に大きな被害をもたらしました。
・熊石地方でも『相沼無量寺過去帳』によれば、男性32人、女性40人、子供38人の合計110人の死者が出たと記録されています。『熊石村沿革史』によれば、この津波によって全村がほぼ全滅する惨状にあいました。
・無量寺の二世住職もこの被害で亡くなり、三世栄泉住職が、延享3年(1746)にこの地蔵尊を建立し、菩提を弔いました。
・この地蔵尊の像背には3つの穴があいています。これは、津波によって犠牲となった溺死者を海底から収容する際、磯まわり用の銛で海底に沈んでいる人の背中を突いて引き揚げ、その銛の跡をとどめたものと言い伝えられています。
・この碑は72.5㎝の高さで、台座正面に「溺水弧霊宝塔」と、背面には建立年月日、右側面には建立者が刻まれています。