木造{僧形八幡神坐像 二/僧形神坐像 一/女神坐像 三/天部形立像 一}
概要
藤原百川により創建されたと伝える御調【みつぎ】八幡宮の本殿(桁行五間、梁行四間)に祀られる神体である。僧形八幡神像を含む僧形神像三躯、女神像三躯、天部形像一躯という構成で、本殿内に神体としてそれぞれ玉殿内に安置されている。僧形神像のうち(その一)と(その二)は僧形八幡神と認められる。もうひとつの僧形神像は蓮華座に坐すこともあって名称不詳だが、両手の構えが(その一)と同じなのでやはり僧形八幡神の可能性はある。女神像のうち(その一)が右の僧形八幡神像(その一)と組み合わされていたならその神名は比売神または大帯姫とみられ、したがってそれと同じ像容の(その二)も同様である。(その二・その三)は一具と判断されるので、(その三)は逆に大帯姫または比売神となる。天部形像の両手先は別の像のもののようだが、吉祥薬師と推定される。
製作時期はおよそ三期に分けられ、①僧形八幡神像(その一)と女神像(その一)は僅差があるがともに九世紀半ばから後半に遡る最も古様な作例であり、②僧形八幡神像(その二)、女神像(その二・その三)がそれに続く九世紀末の一群、③僧形神像と天部形像は九世紀末から一〇世紀前半の作である。このうち②は材質、彫法、法量などお互いに共通するところから三体一具で同作と考えられる。
最も古く作られた①の僧形八幡神像(その一)と女神像(その一)はこれで一組をなしていたとみられ、同作とはいえないものの重厚で鋭利なその作風は、現存する神像のうち最も古格がある。同じころの作と考えられる教王護国寺八幡三神像(国宝)に匹敵する重要な作例であると同時に、八幡神の三神構成が成立する以前の様相をも推測させる。②の八幡三神像は、その像容が薬師寺八幡三神像(寛平年間=八八九~八九八、国宝)と一致する箇所がいくつかあって九世紀末における八幡三神像の図像の定着を示しており、八幡神像の変遷のなかで有意義な位置を占めるだけでなく、このころの上質な神像作例でもある。一方、③の二体は一具とはいえず、また①②の主神ともまた別の性格をもつものであろう。しかし、数基の玉殿が本殿内に並べられる備後地方特有の奉祀形態という観点からすれば、歴史的にみて本像もまた他と同等の価値がある。
本像は製作時期が平安時代九世紀から一〇世紀初めにわたる古作群であり、かつ作行や保存状態が良好であるのと同時に、八幡神が僧形神を中心にまとめられていく歴史的経過を明瞭に示しており神像の造形的変遷を如実に示す好個の作例でもある。
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