唐物茶壺(松花) からものちゃつぼ しょうか

工芸 /    / 中部 

愛知県
南宋~元時代/1201-1400
肩の四方に耳をつけた中国製の大型四耳壺で、素地は鉄分を多く含んだ灰色陶胎をなし、器表は黒褐色から赤褐色に焼け焦げる。粘土紐造りの後、器壁を叩き締め轆轤調整する。肩から胴…
高39.7 口径11.6 胴径33.2 底径12.7(㎝)
1口
徳川美術館 愛知県名古屋市東区徳川町1017
重文指定年月日:20050609
国宝指定年月日:
登録年月日:
公益財団法人徳川黎明会
国宝・重要文化財(美術品)

唐物茶壺は中国南部を中心に広く焼造された四耳壺で、香辛料などの貯蔵容器として用いられ、一一世紀後半には生産されていたと考えられている。喫茶の伝来とともに一三世紀代にはわが国に将来され、その機能性より葉茶壺【はちゃつぼ】として用いられたと推測されるが、記録では『師守記【もろもりき】』の興国元年・暦応三年(一三四〇)正月三日に記された「引出物茶壺」が初現とされ、また水戸徳川家に伝来する唐物茶壺・銘弾正の底部には「貞和二」(一三四六年)の墨書があり、これらの資料より一四世紀前半には確実にわが国に将来され、葉茶壺として用いられていたことが知られる。室町時代には瀬戸窯、信楽窯、丹波窯、備前窯などでも唐物茶壺を模した四耳壺が焼造され始め、しだいに盛行していったことが知られる。また『満済准后【まんさいじゅごう】日記』の永享六年(一四三四)二月四日には「葉茶壺九重ト号名物」という記述があり、すでに銘が与えられて、各種の茶道具の中でも最も早く名物と称されていたことが知られる。
 唐物茶壺は本来葉茶を保存するための実用的な容器であったが、天文年間(一五三二~五五)ころからは唐物茶壺を用いた茶壺飾りが書院や広間の床で行われるようになり、最も普及したのは豊臣秀吉が茶の湯に力を注いだ天正年間(一五七三~九二)中期ころからとされ、唐物茶入とともに茶道具において格別に扱われた。織田信長や豊臣秀吉などの戦国大名が、戦功のあった武将への褒美として唐物茶壺を与え、優に一国一城、数万石、ときには十数万石の恩賞に価値するとさえも評された。
 本茶壺はもと管領・斯波【しば】氏所持と…

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野々村仁清

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