丸壺茶入(相坂)〈瀬戸/〉
まるつぼちゃいれ おおさか
作品概要
喫茶の盛行により、茶道具として唐物茶入が鎌倉時代以降に将来されたが、鎌倉時代末には瀬戸窯で和物茶入の焼造が開始され、以来江戸時代前期まで数多くの作品が作られた。本茶入は、古瀬戸茶入では遺例が少ない丸壺の作品で、端正な形姿と鉄釉の明るい釉調には品格があり、肩に流し掛けられた灰釉は一方に流れて、鮮麗な釉景色を作り出す。和物茶入の優作を焼造した瀬戸の茶入を代表する作行優れた作品であり、茶道文化史上貴重な作品である。
和物茶入を新たに茶道具として見出した小堀遠州(一五七九~一六四七)が愛蔵した茶入で、『遠州蔵帳』(流布本)には「相坂 宗甫公筆 江月和尚記有」と記される。袋が四種に牙蓋が七枚、盆なども伴う。いわゆる中興名物。寛永五年(一六二八)、寛永八年(一六三一)の遠州の茶会記にその名が見られる。
なお銘は、「逢坂の嵐の風は寒けれど 行衛しらねば侘びつつぞぬる」(『古今集』巻十八雑下、読み人知らず)に依っており、小堀遠州が所持していたときに茶席の某人の提案でこの歌銘がついたことが附属の『相坂之記』により知られる。
附属する茶入袋には縹地七曜霊芝龍丸文金襴袋(相坂金襴)、茶地格子石畳文緞子袋、紺地鳳凰文金襴袋、茶地亀甲繋文錦袋(葛城裂)の名物裂をあつらえ、挽家には黒柿を用い、盆は唐物五葉盆で、巣入と木口挽の象牙蓋が添う。いずれも本茶入の格別の扱いを示す資料として貴重である。