大須戸能
おおすどのう
概要
大須戸能は、大須戸地区の住民により伝承された能狂言で、山形県東田川【ひがしたがわ】郡櫛引町【くしびきちよう】黒川の黒川能の系統を引くものであり、現在は四月三日の八坂神社の春の例祭で神社の能舞台で演じられるほか、八月十五日には薪能【たきぎのう】としても公開されている。
その起源は、弘化元年(一八四四)に大須戸を訪れ、庄屋の中山与惣右衛門【よそうえもん】家に滞在した庄内黒川の能役者蛸井甚助【たこいじんすけ】が、大須戸の村人に式三番および黒川能の下座【しもざ】伝承曲一五曲を教えたことに始まると伝えられ、嘉永四年(一八五一)以降は八坂神社での演能記録も残っており、少なくとも一五〇年以上の伝承が確認できる。また嘉永五年(一八五二)の古文書には、長年伝承してきた能衣装が破損したため神社に奉納を願う旨の記述がみられ、黒川能が伝わる以前にも、何らかの形で大須戸において能が行われていたとも考えられているが、現在の伝承は黒川能伝来以後のものしか確認されていない。
さらに明治期に能一〇番と、狂言一二番も伝承され、現在は能二六番(式三番、脇能【わきのう】物五番、修羅【しゆら】物三番、雑能【ざつのう】物五番、切能【きりのう】物一二番)および狂言一一番が伝承曲となっている。このうち、儀式能として重んじられる式三番については世襲制がとられており、翁【おきな】は中山源左衛門家、千歳【せんざい】は中山栄作家、三番叟【さんばそう】は中山一万家が伝えている。
大須戸能の特色としては、一語一語にナビキがつく謡や笛方が他の囃子方に対して直角の位置につくなど、黒川能の形態と共通する部分が多いが、黒川能が頭屋の座敷および春日神社拝殿内という屋内で行われるのに対して、大須戸能は当初から能舞台での演能で伝承されているため、謡・囃子・所作ともに黒川能より大きめである。
使用される装束は、近年専門店から購入したもののほか、晴れ着や帯地などを利用して手作りしたものもあり、地域の人びとの能に対する工夫を偲ばせる。なお、八坂神社の能舞台は、古くは組立式の舞台であったが、現在のものは昭和六十三年に新設された常設舞台である。
以上のように大須戸能は、黒川能の影響を受けて、主としてその芸能的要素を伝えてきたものであり、民俗芸能の伝播の姿を示し、芸能の変遷の過程を知るうえで重要である。
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国指定文化財等データベース(文化庁)