天体望遠鏡(八インチ屈折赤道儀)〈/英国製〉
てんたいぼうえんきょう(はちいんちくっせつせきどうぎ)〈/えいこくせい〉
概要
天体望遠鏡(八インチ屈折赤道儀)〈/英国製〉
てんたいぼうえんきょう(はちいんちくっせつせきどうぎ)〈/えいこくせい〉
歴史資料/書跡・典籍/古文書 / 関東 / 東京都
東京都
欧米 19世紀
1台
東京都台東区上野公園7-20
重文指定年月日:19990607
国宝指定年月日:
登録年月日:
独立行政法人国立科学博物館
国宝・重要文化財(美術品)
明治新政府が設立した観象台【かんしようだい】(天文台)の備付機器として英国から輸入され、その後長く東京天文台(現在の国立天文台)において天体観測と天文学教育に用いられた望遠鏡である。
明治維新により幕府天文方が解体され、新政府は編暦・報時・測地といった国家業務を引き継ぐため、近代的な天体観測施設の設置に取り組んだ。特に編暦を担当することになった文部省と、その任務上、精密な天測が不可欠である海軍省は、それぞれ観測施設の設立を強く望んだ。文部省は、明治三年(一八七〇)に、欧州に派遣した少弁務使鮫島尚信【さめしまなおのぶ】に天体観測機器の調達を要請している。また、明治七年に起こった金星の太陽面通過現象に世界各国の観測隊が来日したことは、政府に学問としての天文学の重要性を認知させるきっかけとなった。
明治九年に編暦業務が内務省に移管されると、政府は、内務省雇の英国人シャーボーから観測施設に求められる立地・建築・観測機器類に関する答申を得て、明治十三年には赤坂葵町に内務省地理局観象台を設置した。
本機は、その発注時期を必ずしも詳らかにしないが、内務省観象台に設置された観測機器の一つであり、明治十三年までには輸入されていたものと考えられる。英国の代表的な科学機器製作会社トロートン・アンド・シムズ社の製作になる。同社の製品は、英国内をはじめ世界各地に多く設置されており、国際的にみても、当時の国立天文台の備品としては標準的な天体望遠鏡であった。
鏡筒および架台は鋳鉄製で架台の外装に木部を交える。駆動部は真鍮製の部品を用いる。光学系はケプラー式で、対物レンズハインチ、接眼レンズは当初複数用意されていたものと思われるが、現在では一個が付属するのみである。架台はドイツ式赤道儀で、極軸は鎖と重錘によって駆動する。
明治二十一年(一八八八)に海軍省・帝国大学・内務省の三観象台が合併し、帝国大学理科大学付置東京天文台が開設されると、本機はその所管となり、さらに東京天文台の三鷹移転にともなって、大正十三(一九二四)、同地に移された。その間、観測の実務に供されるとともに、大学における教育用の望遠鏡として、日本人天文学者の育成に大きな役割を果たした。
昭和四十二年(一九六七)に現役を退いて国立科学博物館の保管となり、現在に至っている。本機は、わが国近代天文学の揺籃期を物語る数少ない本格的な天体望遠鏡として、歴史的意義が深い。