仙台藩天文学器機
せんだいはんてんもんがくきき
概要
この渾天儀は、伊達家の宝物類を明治に記録した『観瀾閣宝物目録』に記載されるもので、昭和23年夏に仙台市一本杉の伊達家倉庫で分解された状態で東北大学加藤愛雄教授により確認され、同教授の管理するところとなり、さらに昭和31年仙台市天文台開設時に台長となった加藤教授より天文台に移されたものである。本来、星の位置を測定する観測機器である渾天儀は、現在、我が国におよそ42基現存するが、この渾天儀を除くすべてが天体運行のモデル、シミュレーターとして製作、使用された型のものであるのに対し、この青銅製の大型の渾天儀は、唯一、実際の天体観測に使用されたことが確認されるものである。仙台藩の天文学者戸板保佑の指導の下、藤広則(1748~1807)により製作され、青銅製の3つの固定輪は、地平線、天の赤道、子午線を表わし、同じく青銅製の中央の可動輪に固定される望遠鏡により星の位置を測定する(関係部品一部欠損)。角度目盛は全周を365.25等分した東洋独特の太陽移動角(一日分)と十二支による方位角を細分化(十二支と戊己を除く十干と「乾」「坤」「艮」「巽」からなる二十四方位を基準)した384等分の方位角を示す。地平輪は、溝を切り、水を張って渾天儀を水平に設置する工夫がなされ、水準器を兼ねており、実用の観測器であることを示している。また、その裏面には安永5年(1776)の識語がある。
天球儀(大)は、木製の桟および板を構造材としてこれに木板を貼り合わせた大型のものと、構造材を用いず、木材を刳り抜いた二つの半球を貼り合わせた、表面に漆を塗る小型のもの一基が伝存する。両者の台座に刻まれた目盛りは、渾天儀と同一の二種である。大型の天球儀には天の経緯度線が引かれるのみで、恒星位置等一切の記載がないが、小型のものには観測記録が記されている。特に冬至点付近には、安永6年10月13日、安永7年5月10日、安永8年7月4日、安永10年正月□日の日付とともに月の位置の赤緯値が記載されている。これらの観測記録および目盛りの特色には、渾天儀および戸板保佑(といたやすすけ・別名多植茂蕃、1708~84)との密接な関係が認められる。
象限儀は、仙台藩の武田保勝(たけだやすかつ)(1797~1853)が嘉永5年(1852)に著した『北極高度考』に新製象限儀を使用して緯度観測をしたと記す象限儀がこれに該当すると考えられるものである。渾天儀、天球儀と製作時期が異なるが、副尺を有する高精度のものである。これらの機器は、江戸期における仙台藩の天文学の実態を伝える貴重な遺品であるのみならず、浅草天文台の渾天儀をはじめとする観測用の渾天儀が他に現存しない今日にあって、唯一この渾天儀が江戸期の天体観測の精度はじめとする実態を伝えるものであり、また、これに基づく、観測値の記録方法をも具に伝える学術的価値の高いものである。