一休宗純墨蹟 偈
いっきゅうそうじゅんぼくせき げ
概要
ただの七絶のようにみえるが、冒頭の「鉄樹」と結句の「花開」を結べば、「鉄樹花開世界香」という無心無作の妙用の活現を示すことになるし、承句の「嶺南の消息」は六祖慧能(大鑑禅師)のことであるから、やはり偈頌とみるべきであろう。転句中の「満」は、あるいは「嘯」かもしれない。
行草織り交ぜてしたためられた、この独自の書風には、虚堂智愚に私淑したためか、一種野性味を帯びたうちにも、北宋革新書派の骨法が看取されよう。樹・枝・風・家・満・雪・花・通などという字を眺めていると、和尚自画賛の潑墨画が眼底に浮かんでくる。なお、師の法諱はふつう「宗純」とつくるが、時に「宗順」、まれに「宗淳」と記されることがある。本幅は「順」である。
一休宗純は後小松帝の皇胤ともいわれ、大徳寺の華叟宗曇の印可を得たが、言行人を憚らず、権勢に媚びず、名利を求めず、側女をおき、実子をもうけるなど、当時の禅僧としては異例の言行があったといわれる。これは『自戒集』のなった二年後、長禄元年(1457)64歳の作である。
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