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秋巒真如

しゅうらんしんにょ

概要

秋巒真如

しゅうらんしんにょ

日本画

奥田元宋  (1912(明治45)年-2003(平成15)年)

オクダ・ゲンソウ

昭和52年/1977年

紙本彩色

156.5×197.5

巒とは「連なった山々」といった意味を持つ語。真如は仏教用語で「真実の姿」「ありのままの真理」を示す。夜の静寂の中、濃緑色で表された空と湖面とにはさまれて、見事に紅葉した森が満月の光に浮かび上がるように描き出されている。画家はこの作品に、宗教的な観念を重ね合わせたと言う。すなわち、月によって阿弥陀如来を象徴的に表し、風景画としての「山越阿弥陀図」を生み出したのである。
奥田元宋は、現在の広島県三次市吉舎町生まれ。本名は厳三。東京に出て児玉希望に弟子入りし、戦前は主に人物や花鳥をモティーフとした作品を制作。戦争の激化にともない郷里に疎開、この頃より風景画を生涯のテーマとした。いくつかの実験的な描法を試みたのち、印象的な赤の諸色を用いた作品群を発表、人気・実力ともに現代日本画壇を代表する作家となる。1996年には銀閣寺障壁画の大作を完成させた。

【作家略歴】
1912(明治45) 広島県双三郡八幡村(現三次市)に生まれる
1924(大正13) 図画教師であった山田幾郎教諭の指導で、絵を描き始める
1930(昭和5) 上京し、遠縁の日本画家児玉希望の内弟子となる
1933(昭和8) 師宅を出奔。この後、一時的にシナリオライターを目指す
1935(昭和10) 児玉希望に再入門
1937(昭和12) 雅号を本名「厳三」から「元宋」に改める
1938(昭和13) 第2回新文展《盲女と花》で特選を受ける
1942(昭和17) この頃までに、靉光や寺田政明、船田玉樹らと交遊
1944(昭和19) 戦争の激化に伴い、広島に疎開(約9年留まる)。人物画から風景画に転じる
1949(昭和24) 第5回日展《待月》で特選、白寿賞を受ける
1962(昭和37) 第5回新日展《磐梯》で文部大臣賞、翌年には日本芸術院賞を受ける
1974(昭和49) 妻龍子を亡くす。翌年には《秋嶽紅樹》を発表、赤色を基調とする作風に転じる
1984(昭和59) 文化勲章を受章
1996(平成8) 京都、慈照寺(銀閣寺)の庫裏・大玄関および弄清亭障壁画を完成
2003(平成15) 東京都練馬区の自宅にて没

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キーワード

特選 / 児玉 / 希望 / 日展

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