肥前一国絵図・五嶋図及び肥前一国道則帳
附.絵図箱(肥前一国図在銘)
ひぜんいっこくえず・ごとうずおよびひぜんいっこくみちのりちょう
つけたり えずばこ(ひぜんいっこくずざいめい)
概要
肥前一国絵図・五嶋図及び肥前一国道則帳
附.絵図箱(肥前一国図在銘)
ひぜんいっこくえず・ごとうずおよびひぜんいっこくみちのりちょう
つけたり えずばこ(ひぜんいっこくずざいめい)
佐賀県
江戸時代/1783年、1649年
正保元年(1644)に幕府が諸大名に対し、郷帳・城絵図とともに国絵図の製作を命じ、佐賀藩では正保4年(1647)に完成した。
武雄鍋島家資料の『肥前一国絵図』並びに『五嶋図』は、この国絵図の写しである。本図には郡単位、村単位の石高、宿場、主要河川の川幅や水深などの詳細な注記が見られる。
『肥前一国道則帳』は、表紙付箋に「幷古城間数其外委細」とあり、資料前半に肥前国内の主要街道、城下町や中心集落の相互間の距離、海路、湊等の詳細が列記され、後半は17か所に及ぶ古城の規模や跡地の実態調査報告となっている。この資料は、正保肥前絵図と共に提出を命じられた「諸国海陸之道筋及古城等之書付」の控であると考えられる
肥前一国絵図:縦415cm、横469cm
五嶋図:縦355cm、横261cm
肥前一国道則帳:縦25.5cm、横18cm
2舗1冊1合
佐賀県武雄市武雄町大字武雄5304番地1
武雄市指定
指定年月日:20130326
武雄市
有形文化財(美術工芸品)
絵図箱の銘から、本図は、天明3年(1783)に佐賀藩大組頭の鍋島弥平左衛門が神代(くましろ)対馬守の所持していたものを借りていたのを、武雄で又借して岩谷周介に写させたものである。