長野県
平瀬城は奈良井川と梓川の合流する附近の、安曇野に面する尾根上に構築された山城で、犀乗沢を隔てて北側の尾根に本城、南側の尾根に南城が築かれ、これら一体で平瀬城とされてい…
松本市島内9627イ号ほか45筆
松本市指定
指定年月日:20140305
逢沢深ほか11名
記念物
「信府統記」(江戸時代の松本藩主水野氏編纂史料)には、犬甘(犬養・犬飼)氏の一族である平瀬氏の居城であろうと書かれており、「高白斎記」(武田氏史料)には天文20(1551)年10月に武田氏が平瀬城を攻め、204人を討ち取り平瀬氏が滅亡したという記載がある。平瀬城は多くの文献史料に名を残しているため、研究者の間で著名であり、他の山城に比べて広く研究されてきた経過がある。ただし「高白斎記」に記載された平瀬氏滅亡の場所は、平瀬氏の居館である川合鶴宮八幡神社地とする説もある。