平瀬城跡
ひらせじょうあと
作品概要
「信府統記」(江戸時代の松本藩主水野氏編纂史料)には、犬甘(犬養・犬飼)氏の一族である平瀬氏の居城であろうと書かれており、「高白斎記」(武田氏史料)には天文20(1551)年10月に武田氏が平瀬城を攻め、204人を討ち取り平瀬氏が滅亡したという記載がある。平瀬城は多くの文献史料に名を残しているため、研究者の間で著名であり、他の山城に比べて広く研究されてきた経過がある。ただし「高白斎記」に記載された平瀬氏滅亡の場所は、平瀬氏の居館である川合鶴宮八幡神社地とする説もある。