坪井信良書簡(玉虫散士宛)

権利者:高岡市立博物館蔵

歴史資料 / 明治 / 富山県 

坪井信良 (1823~1904)
つぼいしんりょう
富山県高岡市
辛丑(明治34年カ)12月31日/1901カ
紙・継紙・墨書
〔本紙〕縦17.8㎝×横38.4㎝
〔全体〕縦18.1㎝×横39.4㎝
1
富山県高岡市古城1-5
高岡市蔵(高岡市立博物館保管)

本資料は、高岡の旧家佐渡家(1)出身で幕末の蘭方医坪井信良(2)の自筆の書簡である。年代の「辛丑除日」は明治34年12月31日と推察できる(3)。
本資料が明治34年とすれば信良が同37年(1904)11月9日に死去していることから信良最晩年の書簡といえる。
 宛先の玉虫散士については不明であるが、自らの衰えの吐露や、息子正五郎(4)編纂の世界風俗画報(5)の謹呈、小暦、仙台製葡萄餅の進上等の文面から信良と親しい間柄であったと思われる。
本資料は筆を寝かせた状態で書かれ筆の動きは小さく覇気がない。二行目「御」「祝」「之」のような筆をすぐさま離した際にでる鋭角の斜め線が所々見受けられる。文中に「例之腕震ニテ文字乱様御海恕可被下候」とあることから震える腕でこの書簡を書いたと考えられる。
なお、当館には信良の兄、9代佐渡養順に対し当時の社会情勢、風説書等の200通程の書簡類が寄託されている。その中でも明治30年代の書簡は9通と少なく本資料は晩年の信良を伺うことができる貴重な資料といえる。保存状態は概ね良好である。

(参考文献)
・『佐渡家資料目録』高岡市立博物館編集 高岡市教育委員会発行 2015年3月31日発行
・『幕末維新風雲通信-蘭医坪井信良家兄宛書翰集―』宮地正人編集 財)東京大学出版会 1978年12月25日発行
・『坪井正五郎-日本で最初の人類学者』川村伸秀著 ㈱弘文堂発行 2013年9月30日発行
・HP国立国会図書館サーチ20190519アクセス

<注>
(1) 佐渡家(さどけ)
佐渡家は越中砺波郡止観寺城主建部佐渡守を初代とする。佐々成政に攻め滅ぼされた後、医術を業とし高山に住んだ。慶長14年(1609)、前田利長の高岡入城時に召されて高岡に移住し、下川原町に住み、その後利屋町へ移転した。4代建部順益が佐渡養順と改名し、以来これを襲名した。佐渡家は産科医として殊に高名で加越能三国はもとより、飛騨・越後からも患者が殺到し、門前市をなしたという。
9代養順(三良)が京都の蘭医小石元瑞の究理堂に入塾し、江戸昌平黌に学んだ。その弟の良益(坪井信良)もはじめ小石元瑞に学び、後に江戸の坪井信道の日習堂に入塾し認められて養子となった。高岡市(当館・美術館等に保管)には古文書、図書資料、民具、美術資料を含め3,701件、11,252点が寄託されている。なお、8代・9代のときに収集した書物は「蒼龍館」と名づけられその一部は、金沢市立玉川図書館近世史料館と高岡市立中央図書館所蔵の古文献史料として保存されている。ちなみに高岡市立中央図書館は412点(954冊)で、9代養順の処置録や佐渡家歴代の人々の著書・蔵書・手録、江戸初期の医学・薬学本のほかに論語や読み本などがある。
(参考文献)
・『佐渡家資料目録』高岡市立博物館編集 高岡市教育委員会発行 2015年3月31日発行
・HP高岡市立中央図書館 20190604アクセス

(2) 坪井信良(つぼい しんりょう)
生没1823.8.28~1904.11.9(文政6年~明治37年)
幕末明治期の蘭方医。8代養順の2男。幼名は未三郎。字は良益、のち信良と改める。天保11年(1840)より京都の究理堂(小石元瑞)で学んだ後、同14年(1843)江戸の日習堂(坪井信道)に入門。弘化元年(1844)信道の養子となり大坂の適塾(緒方洪庵)で学ぶが1年も経たないうちに信道重病の知らせを受け江戸に戻り、嘉永元年信道の長女まきと結婚。嘉永6年(1853)福井藩松平春嶽に召し抱えられ翌年奥医師となる。元治元年(1864)幕府奥医師となり維新後徳川慶喜が駿府での蟄居処分を受けたときに信良も随行した。明治2年2月21日に開設された駿府病院(同年6月20日、静岡病院と改称)設立に際して信良は林研海、戸塚文海らと尽力し後に東京府病院長などを務める。明治16年(1883)12月家督を次男正五郎に譲り隠居した。享年82。
(参考文献)
・『佐渡家資料目録』高岡市立博物館編集 高岡市教育委員会発行 2015年3月31日発行
・『幕末維新風雲通信-蘭医坪井信良家兄宛書翰集―』宮地正人編集 財)東京大学出版会 1978年12月25日発行
・『坪井正五郎-日本で最初の人類学者』川村伸秀著 ㈱弘文堂発行 2013年9月30日発行
・HP地方独立行政法人静岡市立静岡病院 20190604アクセス

(3) 年代推定の理由
正五郎は『風俗画報』に「コロボックル風俗考」を明治28年4月~翌年1月まで全10回断続的に連載している。このことから本資料の「辛丑」はそれ以降の明治34年と推察した。ちなみに除日は大晦日のことである。

(4) 坪井正五郎(つぼい しょうごろう)
生没1863.1.5~1913.5.26(文久3年~大正2年)
信良の次男。正月の5日に生まれたことから正五郎と名付けられる。1月6日付佐渡養順の書翰に「肥大健実、啼声徹耳、此度は無疑大丈夫と存申候。此段御安心可被下候」(『幕末維新風雲通信-蘭医坪井信良家兄宛書翰集―』161-162pより抜粋)とある。此度は無疑大丈夫とあるのは安政5年に最初の男児が生まれてすぐに没し、万延元年に長女菊が誕生するも翌年に夭折しており正五郎は待望の子であったといえる。正五郎2歳の時に母まきが死去。信良が幕府医師荒井精兵衛の子よのと再婚し、正五郎はよのに育てられる。信良とよのとの間に子供はいない。『幕末維新風雲通信-蘭医坪井信良家兄宛書翰集―』にも生誕の文久3年1月6日付書翰~8歳の明治3年1月26日付書翰に至るまで都度正五郎の成長ぶりを維新期の社会の動乱と共に伝えている。
父信良の徳川慶喜随行に伴い正五郎5歳の時に静岡に移る。静岡病院(駿河病院の廃藩置県後の改称名)閉局のため東京へ10歳の時に移る。その後1881年東京大学に入学,動物学を専攻したが,在学中から考古学,人類学に興味をもち,1884年日本人類学会の前身「じんるいがくのとも」を創設,1886年『人類学会報告』を発刊。1889~92年イギリス,フランス両国に留学し,主としてイギリスで人類学的研究を行なった。帰国後東京大学教授となって日本最初の人類学講座を主宰し,以来日本の考古学,人類学の普及と確立に寄与した。
1906年帝国学士院会員。1913年ロシアのサンクトペテルブルグで開催の第5回万国学士院連合会総会に出席中客死。コロボックル説などを唱えた。著書『はにわ考』(1901),『人類学講義』(1905)など多数。
(参考文献)
・『坪井正五郎-日本で最初の人類学者』川村伸秀著 ㈱弘文堂発行 2013年9月30日発行
・HP「ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典」20190605アクセス
・HP地方独立行政法人静岡市立静岡病院 20190604アクセス

(5) 風俗画報(ふうぞくがほう)
刊行日1890.2~1916.3(明治22年2月~大正5年3月)
東陽堂創刊、吾妻健三郎発行、衆議院議員野口勝一編輯、責任編集渡辺又太郎(のち大橋乙羽)。巻冊数は518冊。日本最初のグラフ雑誌で江戸・明治・大正の世相・風俗・歴史・文学・事物などあらゆる分野に及ぶ。銅版・石板折衷による版画によって多色刷りの絵画の魅力もあり明治27年には年間発行部数13万5千部に達する。正五郎は明治28年から翌年1月にかけて「コロボックル風俗考」を連載した。
(参考文献)
・『坪井正五郎-日本で最初の人類学者』川村伸秀著 ㈱弘文堂発行 2013年9月30日発行
・HP国立国会図書館サーチ20190519アクセス
・HPジャパンナレッジ20190606アクセス

【釈文】
拝啓、愈以本年モ除日ト相成候ニ付、参
邸 御祝詞可申上筈之処、眼病大ニ快
方ニは候得共、何分疲労未回復不仕、其為
外出仕兼候間、失敬仕候段可然
御前江被仰上可被下候、随而粗品ニ候得共
 愚息正五郎編輯之世界風俗画帖((ママ))一
謹呈仕度差出候、御取計願上候、来年之
御暦相添候、御懇ニ相成候はゝ本懐之至ニ存候、
次ニ仙台製之葡萄餻三包
前君へ進上仕候、御笑留可被下候、右拝願
如斯ニ候也、例之腕震ニテ文字乱様
御海恕可被下候、例之談は万来陽拝芝
之時ニ譲候也
(一九〇一カ)(大晦日)
  辛丑除日  
坪井信良
  玉虫散士様
(※解読協力:宮地正人氏)

(意訳)
 いよいよ本年も大晦日になりました。お宅に参上しご挨拶を申し上げるべきなのですが、眼病は回復にむかいましたけれども何分疲労がまだ回復せず、そのために外出はできかねており失敬しておりますことをしかるべく御前へおっしゃってください。粗品ではありますが愚息正五郎編輯の「世界風俗画報」を1冊謹呈します。お取り計らい願います。来年の小さな暦も添えます。親しくしていただいたら大変嬉しいです。
そして、仙台製の葡萄餅3包進上いたしますので御笑納ください。例によって腕が震えて文字が乱れています。例の談は来春お会いするときにお譲りします。

作品所在地の地図

関連リンク

坪井信良書簡(玉虫散士宛)チェックした作品をもとに関連する作品を探す

『医事雑誌』
『医事雑誌』

坪井信良編

『和蘭薬性歌』(上・下巻)
『和蘭薬性歌』(上・下巻)

著:佐渡三良著,校閲:坪井信良,製本:英蘭堂

〔嘉永七年〕六月六日付坪井信良書簡(浄界宛)
明治38年1月23日付 渋沢栄一書簡(大橋半七郎宛)
『新薬百品考』(初・後篇)
ページトップへ