伊藤若冲筆野晒図
いとうじゃくちゅうひつのざらしず
概要
野辺にうち捨てられた人骨が描かれており、髑髏や骨は塗り残して表す。若冲はいくつかの髑髏を描いているが、いずれも髑髏2つのみを描くもので、草むらの中に髑髏を描いた作例は、現在のところ本図の他に類例はなく貴重である。
ところで若冲は、寛政二年(1790)には大病を患い、翌三年には天明の大火後の窮乏のため、相国寺との永代供養の契約を解消している。寛政四年(1792)には生家の青物問屋枡源を譲った弟(宗厳)が没している。本図が描かれた背景として、こうした状況が関係しているのではないかと想像される点で注目すべき作品である。表具のしつらえも優れており、中廻しに描かれた満開の桜と軸首に施された蛍の蒔絵は、視覚的にも意味的にも水墨画を見事に浮き立たせている。